28歳無職弱者男性の日記

29歳になりました

五臓六腑に染み渡る酒の味

去年の夏にコロナ感染した話

俺は無職だがワクチンを打っている。それにもかかわらず、去年コロナウイルスに感染した。
朝からなんとなく具合が悪かったが、まさか自分がコロナだとは夢にも思わず普通に過ごしていた。
夕方になり、午後7時頃になると熱が上がってきた。
ここでコロナだと確信した。

 

以前肺炎球菌感染症で入院したことがあり、そのときも夜になると熱が上がったからだ。
42℃の高熱が3日ほど続き、まさしく死を覚悟した。

深夜3時、40℃を記録。
症状としては発熱と悪寒、節々の痛み。咳は出なかっただけ本物の肺炎よりは楽だった。

 

次の日は一日中布団から出ずに、食事も摂れずに過ごした。時折上半身を起こしてOS-1を飲むだけ。家族が保健所に連絡しているらしい声が断片的に聞こえた。

その次の日、熱は37℃台に下がっていたが、療養施設に収監されることが決まった。
家族が用意した荷物を持って、着の身着のまま出発となった。
療養施設はビジネスホテルを借りきったもので、ホテルの周囲は解体工事をするときの囲いみたいなもので覆われており、警備員が巡回している姿が見えた。
本当に刑務所みたいだなと思った。

 

熱が下がってきていたとはいえ、最初の3日間は寝たきり状態で過ごしたから、特に不満はなかった。収監は任意だと思っていたし、回復したと証明できれば出られると思っていたから。
残り7日、自分の意思では出られないと知ったとき、俺は激怒した。

発症から煙草を吸っていなかったので、イライラが収まらない。酒も飲んでいないので、夜発汗がひどく眠れない。
典型的な依存症の離脱症状が出ていた。

 

父と母に電話して、ここから出せと怒鳴った。
ビジネスホテルだから壁は薄い。俺は隣の部屋から苦情がいって、強制退去になることを期待しわざと大きな声で電話した。
無理だと言われるとスマホを床に叩きつけた。
そのとき為替介入があり、ドル円相場が円高に振れた。

 

結局出られないまま残りの7日間を監獄で過ごした。
ひたすらスマホで酒の動画を見ていた。

俺は偏食だからホテルの弁当が食べられず、3食ゼリー飲料で10日間過ごし体重が10kg減った。
窓から見える回転寿司とラーメン屋の明かりが憎らしく、釈放されたら何で飲もうかということばかり考えていた。
後で知ったのだが、療養中の食事は食べられない場合、頼めば買ってきてくれたらしい。
当然酒と煙草はNGだが。

 

釈放されたのは午前10時。
家に帰り真っ先に煙草を買いに走った。
そして肉屋へ寄り馬刺しのロースを300g注文。
我慢できずに昼前から飲みだした。
ポートシャーロット10年をハイボールで。『幸せの黄色いハンカチ』のビールシーン並みにジョッキを持つ手が震えた。
10日ぶりの酒が五臓六腑に染み渡り、1杯を飲み終えてすぐに倒れた。

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