28歳無職弱者男性の日記

29歳になりました

今日は母の誕生日

今日は母親の誕生日だが、俺は具体的な母の年齢を知らない。
母はパートで働いていて、毎日午前8時半に家を出る。
午後1時前後に帰宅し、それから寝るまでテレビを見て過ごしている。
趣味という趣味はなく、友達はいるようだけれど、頻繁に会ったりはしない。
時折電話で誰かと親しげに話している。

 

俺には兄と妹がいるが、全員実家で暮らしている。妹は結婚して子供が産まれたが、離婚して戻ってきた。
そもそも子供が産まれたときに立ち会ったのは、母と父と俺と兄である。夫は来なかった。産まれる瞬間からして一度も目にしていない子供のために養育費を払い続けている。彼は働いているのに、今後16年くらい貧乏生活を強いられるのだ。当然の責任といえばそうなのだが、彼の人生を思うと悲劇である。
俺に結婚願望はないが、結婚についていいイメージがないのは妹を見ているからだと思う。

 

最近昔のことをよく思い出す。
小学生のとき、夏休みに家族で伊豆に行ったことがある。

出発の前日は祖父の家に泊まり、朝早くに車に荷物を積み込む。

当時はまだ高速道路が繋がっていなかったから、要所要所で下道を行き数時間かけての移動だった。

 

泊まったのはハトヤホテルだったのを覚えている。

今謎に若者人気があるらしいレトロなホテルだが、レトロとは言いようで要するに寂れているのだ。

海水浴をして、ホテルに帰って夕食を食べ、寝る前に温泉に入る。

廊下の隅に小さなゲーセンがあり、普段なら絶対に見向きもしない、何の意味もないゲームをやり、午後9時頃に部屋へ戻る。

 

寝ようかとなったときに、確か父親が外に行こうと言いだしたのを覚えている。

9時を過ぎているのに外に出るなど子供としてはありえない。

しかし家から遠くはなれている場所という特別感に酔った兄妹3人は、父親に連れられて外に出た。

母は寝ると言って部屋に残った。

 

海岸を歩いていると、屋台のような場所でかき氷を売っているところに出くわした。

親子4人はそれぞれかき氷を買って、その場で食べた。

おそらくあれが人生で一番美味いかき氷だったと思う。

 

「明日お母さんも一緒に来ような」と父が言ったことを今でも覚えている。

具体的にいつのことだったのかは思い出せないが、少なくとも20年は前の話である。

しかしあの一日の、あの夜のことだけは今でも鮮明に残っている。

伊豆への家族旅行。夜の屋台。家族で食べるかき氷。母を忘れない父。

CLANNADみたいな一日だった。

 

あーあ。小学生の頃が一番楽しかったなァ……。お母さんに電車で茅ヶ崎の海に連れてってもらったなァ……。――闇金ウシジマくん 宇津井優一

 

実家暮らしのニートは家族との関係を良好に保たなくてはならない。

普段意識しないが、両親と実質的に絶縁状態にある家庭は非常に多い。

漫画家の山田玲司が言っていたが、現代社会は家庭で『スター・ウォーズ』を繰り広げつつ社会で『バトル・ロワイアル』を強いられているのだという。

つまり親を恨んだ状態で他人と競争する。

 

「まともな社会人」であればあるほど人格が歪んでいるのはそのせいかなと思った。

家庭でCLANNADしよう。

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