老人ホームは老人のためにあるわけではない
老人ホームは老人のためにあるわけではない
デイサービス、グループホーム、特別養護老人ホーム(ユニット型・従来型)、介護老人保健施設、サービス付き高齢者向け住宅、老人を食い物にしたサービスは数多くあれど、一般人からしたら全部「老人ホーム」である。
実際現場では「これグループホーム案件じゃないよ特養行けよ」とか「これじゃもう特養だようちは老健なんだよ」とかいろいろあると思う。
俺の認識としては特養が本物の姥捨て山、この世の地獄だという認識なのだが合っているだろうか。そしてその中でも従来型特養は、昭和より生き残りし生粋の地獄であるという認識は正しいだろうか。
俺が努めているのは従来型特養である。
地獄が見たかった。
本題に入る前に雑談として、今日の地獄について語っておこうか。
右腕壊死ネキ(90)が入所した。
各家庭それぞれ事情というものがあるのは承知している。
子供や親戚、近所、友達、社会システムすべてとうまく関係を築けなかった人なのだろう。
ある日「あれ? 手が痺れるな」と彼女は思った。
手に血栓ができていたのである。
誰も病院に行けとは言わなかったし、また連れて行ってくれる人もいなかったのでそのまま放置していた。そしたら腕が壊死した。
これが子供を全員大学まで行かせた女の末路である。
人間の糞尿を処理することなど、自己肯定感の低い者であれば造作もない。
介護職なら口を揃えて言うだろうが、この職を続けられるかどうかはそんな部分ではない。
認知症になった老人は便を弄ったり投げたり食ったりする。俺の施設だけのことではないと信じたいのだが、老人になると高確率でオムツの中に手を突っ込み、常時陰部を弄っている。それができない奴は全身麻痺の奴だけだ。
それに対し〝笑顔〟で接せられる職員が上位10%くらいに該当するのだが、そのスキルは必ずしも必須ではない。確実に処理できるほうが優先だからだ。
「やめろ」と言っても強引に陰部に手を突っ込み続ける老人を制止し、舌打ちしながらでもいい、罵倒しながらでもいいから「綺麗にする」のが介護職の仕事である。
厚生労働省はこういう状況下で「やめろ」と言うことを虐待と定義し、老人には陰部に手を突っ込み糞便を好きにする自由があるとしている。
日本人であれば、この手の矛盾に今更どうこう言わないと思う。
彼らは日本の老人がどういう状況で生きながらえているかに興味はなく、月に50万か60万円の給料が貰えればそれでいいのだ。
俺も便を食う老人に対し何も思わなくなった。
しかし壊死した腕を洗う作業は別だった。
これはもう介護ではなく、極めてなにか生命に対する侮辱を感じた。
入浴の現場にいたのは俺と、パート、派遣社員。
「これ剥がしていいんですかね? これ、この包帯グルグル巻き」と俺は言った。
「だって取らないと洗えないですよ」と派遣社員が返す。
そこに看護師が来て、「剥がして洗ってください」と言った。
「誰が?」と俺と派遣社員は言い、顔を見合わせて笑った。
老人ホームは家族のためにある
体の一部が壊死するまで家で放って置かれている時点で、彼女と家族との関係は良好ではないのだと察せられる。
「気づいたらそうなっていた」というやつだろう。
これを放置し死亡するまでに至ると、裁判になり子供は執行猶予付きの有罪となる。
これを回避するために設けられた施設こそ老人ホームである。
介護の教科書で「利用者本位」と馬鹿の一つ覚えのように繰り返すのはこれが理由だ。
そもそもの出発点が家族の意向本位だからこそ、その歪みをどうにかするためにお役所仕事で利用者本位と言っているに過ぎない。
俺がまだ人間だったら、オカンの腕を壊死させたカスが入所手続きに来たら一発ぶん殴らないと気がすまない。しかもそのまま放置して腐ってんだよ半分。せめて切断してから来い。お前オカンに育てられて大学出て◯◯に就職して金あるんだろうが。俺に人の心があるならそう思う。
家族の意向、会社としての体裁、集団生活の制約の中で営まれる老人ホームの楽しい生活とは、下記の通りである。
(なお、すべてがこの限りではない)
午前5時 起床。まだ眠いとかそういう事情は一切考慮せず叩き起こす。
朝食が始まるまでに整髪などをするが、基本的に壁を見て過ごしてもらう。
午前7時 朝食。完食至上主義。食べたくないと言っている者にも無理やり食わす。
気分はフォアグラ職人。制限時間30分。
午前7時30分 寝かせる。立派なフォアグラを作るには運動は禁忌。
午前9時 再び叩き起こし壁を眺めせる。
午前11時 昼食。フォアグラ作り。
午前11時30分 寝かせる
午後2時 叩き起こす
午後4時 夕食。フォアグラ作り。
午前4時30分 就寝。
老人ホームは老後同じ境遇の人たちと楽しくおしゃべりしながら余生を過ごす場所ではないし、介護士はそれに付き添ってニコニコしている人たちではない。
囚人と刑務官の関係に似ている。
一応国はこのやり方に疑問を呈し、施設でなく地域で介護させようとしている。それが新オレンジプラン。