出勤したら婆さんが死んでた
これってええんか?
今日、痛い腰に不満を覚えつつ出勤したら婆さんがひとり死んでいた。
この前記事に書いた山田ハルエ(仮名)が死んだのだ。
俺も暇じゃないから、野良の利用者のケース記録、看護記録、生活歴、既往歴をいちいち漁ったりはしない。彼女はターミナルケアの最中で、施設総出でケアに当たっていたから調べることになっただけだ。
出勤早々「山田さん亡くなったから最後に顔を見てあげて」と言われた。
見に行くとまだ死後硬直が始まって間もないという感じで、まるで生きているようだった。
それこそ俺が昨日早番で「お疲れ様でした」と言って帰った時と一緒だ。
だって昨日は排泄介助のときに摘便すると指示があったから、俺と看護師で介助に入っていたのだ。その時の表情と何も変わらなかった。
朝早くに連絡がいって駆けつけたという家族は一旦荷物を取りに自宅へ帰っていた。
荷物というのがなんだか分かるだろうか。
死体に着せる服を持ってくるのである。
あのさ、その婆さんは90幾歳になって今まで何を着ていたと思う? 「New York City」と書かれたトレーナーだよ。それにすみっコぐらしのパーカー羽織ってたんだよ。全部職員のお下がりだ。
それを今になって「お母さんは着物が好きだったから……」で着物持ってきてんじゃねえよ。
認知症になり〝不要〟になった母を20年施設に監禁していたが、ようやく死んだので社会人として〝通過儀礼〟を行うために来た。そういう感じだった。
そして待ってましたと言わんばかりの顔をした葬儀屋が現れる。
一介護士として思う
「あぁ俺が夜勤のときじゃなくてよかった」
こう思う介護士は多いと思う。
俺も実際にそう思った。まず看護師に連絡し、相談員に連絡、施設長、場合によっては介護主任に連絡。施設ごと連絡網は違うと思うが、キーパーソンに直接夜勤者が連絡することもあると思う。
バラバラに駆けつけてくる人たちへの対応に追われる夜勤者。もちろん休憩、仮眠どころではない。
人が死ぬと夜勤はバタバタになる。
まず医師が到着しない限り死亡診断が下せない。
死亡診断が下せない限り生きているものとして扱わなければらないから、酸素も止められない。しかし酸素もタダではないので看護師は言う。「バルブをギリギリまで閉めといていいよ、どうせ意味ないんだから」
我が施設の提携病院の当直医は夜間施設に駆けつけることはない。
朝になってから日勤の医者が来るのだ。面倒だからだろう。
死亡診断がされてからはスムーズにことが運ぶ。葬儀屋が駆けつけ出棺。
葬儀屋に頼まない場合は家族が軽自動車に死体をのせて去っていく。
ふと思った。
これ葬儀屋斡旋してたらいくら貰えてるんだろう、と。
急に連絡が来て、テンパっている家族にこう言うだけでいい。
「あとの手続きはこちらでやることも可能ですが、どうしましょう?」
まぁこれは憶測の域を出ない話だから置いておく。
警察と葬儀屋の癒着が問題として取り上げられたことがあるが、それよりも格段に遺体搬送する機会が多い介護施設に葬儀屋の営業が来ないなどということがあるだろうか。
死にかけ老人から金を吸い取っているのは、医療現場だけではないということだ。
そしてこれは間違いなく我が施設で行われている行為のひとつ。
身寄りのない老人、つまり生活保護を受けている老人の話だ。
死ぬと葬儀屋に連絡するのは施設である。当然である。家族がいないのだから施設でやるしかない。
その後寺に連絡して葬式の準備を行う。
身寄りがないのだから葬式に来る人もいないはずだ。
しかしきっちり貯金全額分の費用をかけて行う。
どうせ国に回収される金だから、民間に回そうという魂胆だろうか。
坊さんや葬儀屋はそれに関して仕事をするのだから報酬を受け取る道理はわかる。それを斡旋する施設はいくら貰うのだろう。
まさか一銭も貰ってないわけないだろう。
身寄りのない生活保護の老人に200万円かけて葬式をするのだから。
これが現実。
これが介護。
これが世の中だ。