28歳無職弱者男性の日記

29歳になりました

俺は俺のことを不幸な人間だと思っている

楽しさ 満足感 目的

一昨日の夜に移乗介助の研修資料を作った。

先延ばしにし続けていた作業だが、やる時は一瞬である。

重い腰を上げて……という感じではなく、Steamのプロフィール画像を新しくしたあと勢い余って15分で仕上げた。

察しの通り俺は夏休みの宿題を最終日にやるタイプである。

『イリヤの空、UFOの夏』で読書感想文を書いた中3の夏を思い出す。

美少女も冒険もポストモダンもなかったけれど、午後7時に友達と土手を自転車で走りながら聴いた「君の知らない物語」は間違いなく青春だったと言える。

 

溜まっていた課題のひとつを無事にこなし、満足感と疲労感の中帰宅した。

そして初めての研修の打ち上げということで、職場の飲み会に参加した。

職場のこと、これまでのこと、そしてこれからのことなどを話し、午後11時帰宅。

次の日は午前5時起きで仕事に行き、午後4時帰宅。

夕飯を作り酒を飲み、風呂に入りもう一度飲み直しながらこれを書いている。

 

一昨日の夜、友達との約束を果たすべく『Smalland』を一緒にプレイしていた。

そこで話題になったのが、中学生時代に仲間内で流行っていたピアキャストの話。

当時俺が友達の大学生から教えられて広めたのだが、友達は中学の頃にドはまりして今日に至るまで見ているらしい。

「最近引退していく配信者が多い」と友達が言った。

「それ40代でしょ」

「そう、この前も見てた配信者が40歳ちょうどになったって言っていなくなった」

「独身で40になると狂うらしいよ」

「はえ~」

という会話があった。

 

昨日飲みに行く前に、ある動画を見ていた。

ハーバード大学でハーバー丼を食っていそうな男の動画だ。

彼は社会学者で幸福論を説いている。

著作のいくつかはベストセラーになっており、日本語訳も出版されているし、発言が翻訳され大手ニュースサイトで記事になっているレベルの弁舌家である。

メインターゲット層はすでに社会的成功を収めている40、50代男性。

キャリアの中で成功のピークを迎え、下り坂に迫りつつある中での心構えを考察している。

人生で「立つ鳥跡を濁さず」を実践するにはどうすればいいかを論じている人だ。

 

彼の著書を自分のこととして読むためには、最低でもナレッジワーカー、多数の部下を持つ役職付きの会社員、代表取締役でなければならない。

つまり20代後半で自分のことを負け組だと自覚している男が共感していい分野ではない。

 

しかし共感できる部分はあった。

幸福の主成分は楽しさ、満足感、目的の3つだということだ。

俺は今回の研修をやるにあたって、なんだかんだ楽しく調べごとをした。

それはこれまでのブログを読んでもらえれば分かると思う。

そして研修を成功させるというのが目的であり、達成後飲み会に行き満足感を味わった。

これがいわゆる〝成功体験〟というやつだが、この幸福は長く続かないのだという。

 

成功を幸福の絶対条件に据えると、ある時点で限界を迎える。

加齢により今までのように動かない身体、働かない頭、意欲的になるには難しいという自覚。

だんだんとかつてのような〝活躍〟は不可能になり、昔のように働けない自分への失望が不幸へと繋がっていく。

「足るを知る」「等身大の自分を受け入れる」「老兵は死なず,ただ消えゆくのみ 」

既視感のある概念をハーバー丼男は社会学的用語を用いて説明しているのだが、この男なんか色っぽくて話がスッと入ってくるんだよ。

俺は違う

人生に意味や目的がないと感じるなら次の質問に答えてください。

何のために生きてる?

何のためなら死ねる?

この質問に答えられないと存在意義を失います。

中世以降に書かれた哲学書の場合、このあとに「というのはつまり」と入り、デカルトやパスカルを引用つつ長々と30ページ論考が続く。

ニーチェはその間にちょうどいい感じで自虐が入るから人気になったのだと思う。

それ以前であれば対話や説教集が挟まり60ページ書かれる。

ハーバー丼など糞食らえで生きてきた弱者はこの程度の論考には騙されない。

こういったふわふわ語に興じていいのはせいぜい20そこそこの学生くらいのものである。

そもそも存在意義欠落者として20年超生きてきたのだから、今更これをしないと存在意義を失いますと言われても動じない。

 

我々が求めているのは、マニュアルワーカーの幸福論である。

「キャリアチャンジする際に自己実現をする方法は?」とか、「現在の仕事には満足していますが、将来を考えると不安です。今できるスキルアップはないでしょうか?」とかいうクソみたいな手の届かない世界の話はもう一切見たくないのだ。

明日も明後日も、来週も来月も来年の今日も同じ仕事をしなければならない俺に対し、「いかにすればネジが緩まないのか」を教えてほしい。

 

本来はもっと長考する予定だったのだが、友達からゲームの誘いがあった。

言っとくけどマニュアルワーカーは29歳になっても仕事終わりにゲームをするから。

メタ認知の話は一見の価値があると思う。

本当は昨日これをテーマにブログを書こうと思ったが、時間がなかった、

ブログを書く意味はメタ認知を補強する意味があると思う。

自分がなぜそれを思ったのか、その結果どうしたいのか、したいと思いつつ結果行動できたのかできなかったのか。それはなぜなのか。

そういったことを書き出せるのは人間ならではのことだというのはその通りだと思うし、絶対に無駄にはならないと思う。

ブログ書いていると日常会話でのレスポンスはマジで早くなるよ。

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