Google AdSenseに関する覚書
Google AdSenseに合格した日
Google AdSenseは、一度でも合格すると自分のサイトすべてに貼り付けられる。
しかし長らく使用していないと、申請し直しになることを知っているだろうか。
人生で初めてGoogle AdSenseに申請したのが、2013年の12月だった。
当時バイトとしてライターをしていたのだが、そのときに申請させられたのだ。
WordPressでのサイト構築を元締めの人がやり、雇われたライターが各々記事を書く。
収益の何%かを元締めに送金するという、今考えれば割に合わない仕事だった。
当時貰った資料はもう残っていないが、記事を書くにあたり説明されたことがある。
覚えていることだけを書き出す。
・サイト申請中は本文中に画像、動画を使用しない。
・記事の文量は1500~3000字程度でまとめる。それよりも多い分には構わないが、少なすぎるのはNG。
・記事タイトル、本文に検索ワード上位の単語をちりばめる。
当時は何の意味があるのかわからなかったが、なるほどこれがSEO対策というやつだったのだろう。
その仕事は更新がダルくなって3ヶ月程度でバックレてしまった。
当時の俺が書きたかったのは文豪の半生とか、西部邁ゼミナールの感想とか、精神現象学の概要とかだった。
求められた記事は芸能人の結婚がどうのとか、スポーツ選手がどこで何を食べているかといったものであり、書いていて何一つ面白くなかったのだ。
いわゆる「調べてみたけどわかりませんでした!」記事である。
10年後、ライターの主戦場はYou Tubeへと移った。
今ライターの仕事を検索すると、You Tubeの原稿を書いてくださいというものがゴロゴロ出てくる。
昔ライターを雇って芸能人記事を書かせていた元締めが、今はYou Tubeで同じことをしているのだ。
当時と違うのは、もはや芸能人の記事など誰も求めていないこと。
ワンピースの考察、オカルト、歴史、偉人、未解決事件の概要なんかの記事が求められている。
俺好みの時代になってきたということだ。
そして容易に予想できるのが、10年後この仕事は残っていない。
「メソポタミア文明のオカルティックな儀式を箇条書きで5個出したあと、それぞれ概要を4000字で書いてください。ずんだもんに喋らせるので語尾は『のだ』で統一してください」とAIに指示するだけで、5秒で記事が出来上がる時代になるからだ。
申請し直し
せっかくもっているアドセンスを使わないのは損だと思い、このブログにも貼ろうとした。
すると「使用していない期間が長かったため停止されました」と表示されていた。
いつからその状態になっていたのかは分からないが、おそらく今年に入ってからだと思う。
仕方がないので申請し直した。
見てわかる通り、このサイトは画像をガンガン使っている。
画像・動画がダメな理由は、オリジナルコンテンツだと判断するのに必要な材料が多すぎるからだろう。
もちろん他人が作ったものをそのまま貼っていればそれはオリジナルではない。
一応ミッドジャーニーで作った画像は、ミッドジャーニーと俺に使用権がある。
生成物をママで使うことはなく、トーンを変えたり文字を入れたりすることで申し訳程度の「創作的寄与」も付与している。
厳密な法がないため効果は不明だが、もし将来生成物に著作権が認められるようになったとき、俺の著作物だと主張するためだ。
このあたりをGoogle先生がどう判断するか興味があった。
今日無事に申請が通ったため、Google先生はこのサイトにあるものは「オリジナル」だと判断したのだろう。
PVを気にして書く文章はまったく楽しくない
文章というのは自由でなければならない。
私的な日記以外の文章は、基本的に人に読まれることを前提としている。
レポート、企画書、論文、ブログ。
他人の目を気にする時点で制約がかかるのだが、そこにPVという要素が加わるだけで一気に堅苦しいものになる。
本来その文章が役立つかどうか、面白いかどうかを数値化する術はない。
登録者数、PV数、いいねの数がそれらを数値化しているように見えるが、本来は関係がないものだ。
面白いかどうかは自分が決めればいい。
他人の評価を気にするくらいなら、ChatGPTにでも聞いたほうがいい。
「俺の文章をいいと思いますか?」
「それは私にはわかりません。あなたの文章がいいかどうかは、あなたの考え次第なので、あなた自身が判断する必要があります」
人間が人間である所以は、その個性性にある。
相対化の果てにあるのはAIと同じ答えだ。
日本の教育は規格品を量産するためのものであるため、AI以上でも以下でもないものしか生まれない。
あいさつ程度ならAIでもできる。
コピーもできる。データを集めてわかりやすくまとめるくらいのことなら造作もない。
而して人間の娯楽にはすこしく風流の趣向、または高尚の工夫なくんば、かの下等動物などの、もの食いて喉を鳴らす図とさも似たる浅ましき風情と相成果申すべく、すなわち各人その好む所に従い、或いは詩歌管弦、或いは囲碁挿花、謡曲舞踏などさまざまの趣向をこらすは、これ万物の霊長たる所以と愚案じ申次第に御座候。――『津軽通信』 太宰治
太宰先生の言葉、現代に当てはめるのなら、
「人間の娯楽には風流、高尚の工夫がなければ、AIなどの5秒で出てくる生成物と同じになる」
広告設置して思ったが、邪魔で草。