28歳無職弱者男性の日記

29歳になりました

夢の終わり

働きだしてからまた自律神経が狂ったのか変な時間に目覚めるようになってしまった。

このブログを始めたときにブログ村に登録したのだが、そこで昔やっていたブログの存在に気がついた。

削除しようと思って見返していたのだが、2015年に書いた文章を読んでいてこみ上げるものがあった。

 

どんな人間でも若い頃は感受性豊かなものだ。

夢を目指すにあたり叶うまで書き続けると決めた日記がある。

最終更新は2020年で、夢を諦めたと書いてある。

供養のため削除したブログと合わせてここに記しておく。

凛とした 2011年

 僕にはたぶん彼女はできない。それは僕がエゴイストだからかもしれないし、ただ単に作る気が無いからってだけかもしれない。ただ、欲しいとは思う。
 欲しいよ、彼女。
「自分なりの女性に対しての考察」なんてしてる時点で彼女ができないのは明白だけど、ええと、します。考察。
 人は自分と逆のタイプの異性に惹かれるものだって何かの本で見たことがあるけれど、どうやら僕にも例に漏れずそれが適用されるらしい。つまり、僕とは逆の人間。ボーイッシュな女性が、僕は好きだ。
 こう言ったら女性に失礼かもしれないけど、僕は心が女々しい。「男のくせに」なんて言葉があるように、僕は何でもすぐに投げ出すし、その上根性が無い。全く以て女々しい奴だと、よく人に言われる。女性がそうだと言ってるわけではないですよ、男という生き物は、根性が無いと言われるものなんです。「女々しい奴だ」って。
 そんな女々しい僕だから、ボーイッシュな、僕を引っ張っていってくれるようなそんな女性が好きなんだと、思います。だからといって、プロレスラーなお方とかではないですよ。「凜とした」なんて表現が合うようなキリッとした女性が、僕は好きなんです。いいですよね、凛とした女性。
 例によって、僕には求めるものしかないんです。女性に「あれをしてほしい」とか「これをしてほしい」というのは山ほどあるけれど、「これをしてあげたい」というものは一つも無い。ほら、エゴイストでしょう。
 だからこそ、僕には彼女ができないと断言できる。
 あれ、女性を考察するつもりが、いつの間にか自分語りになってしまった。
 どうもすみませんでした。
 あーあ、ゲイにでもなろうかな。

バカについて 2011年

 自分を馬鹿だと自覚するにあたって、私が経験した経緯を書こう。
 まず最初に、自分を馬鹿だと思える人間はそういない。分かりやすく例えると、「自分を天才だと思っている」人間と同じくらいいない、と言えば想像できるだろうか。
「そうは言っても私・僕は馬鹿ですよ。本当にどうしようもないくらいの馬鹿です」と豪語する人もいるだろう。これらの人に勘違いをされては困るので、早めに事実だけを言おう。あなたたちは人間でなく猿だ。考えることをやめ、どんな物事も「馬鹿」の言葉で自己完結してしまう、哀れな猿。
「私は馬鹿だからそんなことは分からないよ」
「馬鹿にも分かるように説明してくれよ」
 猿に対して行数を割くのはもったいないのでこれくらいにしておく。
 それでは、先に進もう。
 先程「自分を馬鹿だと思える人間はそういない」と書いたが、もちろん私もその一人だった。
 私は自分のことを「賢い」とは思わないにしても、もしかしたら……などという希望が全くなかったと言えば嘘になる。つまりは、私は賢いか賢くないかの合間で葛藤していたのだ。
 人間、賢くないよりは賢いほうがいいに決まっている。そう思った私は、たくさんの書物を手に取った。
 書物を読んでいると、今まで知らなかったことが大量にあったことを悟ると同時に、既に知っていることがそこに書かれていることへの優越感を感じた。私が漠然と自分が「賢い」のではないかと錯覚したのは、おそらくその時だったのだろう。
 賢くなった気でいる人間ほど面倒なものはない。彼らは平気で他人の琴線を踏みにじりながら、薄っぺらな知識をまるで鬼の首を取ったように披露する。
 私がそんな愚か者に成り果てずに済んだのは、私が薄っぺらな知識を披露しに出向いたのは賢人の元だったからに他ならない。
 賢人は言った。
「そんなことはとうの昔に知っている」
 その諭すような口調に、私ただは赤面した。よく考えてみたら当たり前だ。私が適当に手に取った本の受け売りを話したところで、賢人はそれを知っていて当然。なぜなら、それを知っているからこそ私は彼のことを「賢人」だとここに書けるわけだからだ。
 もしかしたら私は馬鹿なんじゃないのか。私は初めてそう思った。
 人間馬鹿だと自覚すると面白いもので、その姿は野に放たれた猟犬のごとくスピードで知識を収集するようになる。
 私は確信した。これが馬鹿なのだと。
 賢人の口調を思い出す。一切の傲りの色は無く、それでいてどこか気品のあるような、そんな口調。
 私はまだ自分のことを漠然と「馬鹿」だと思っているに過ぎない。しかし、いつか本物の馬鹿になれるよう修行を積みたいと思う。
 馬鹿とは決して傲らず、気品に溢れ、また寡黙であり、それでいて「馬鹿」と他人に言われれば大人げなく怒るような、そんな無垢な人間のことを言うのではないかと私は思う。

トラウマ 2011年

 とうの昔に私は壊れていた。
 忘れもしない、中学一年生の頃の話だ。
 秋。十月にそれは突然訪れた。突然でもなんでないことは私の頭がよく分かっている。でも、それはやっぱり突然で、その頃の私には何もかもが分からなかったのも事実だ。
 無視。誰に話しかけてもこちらを向きクスリと笑うだけ。中にはあからさまに私を避ける人もいた。遠巻きに私を眺め談笑しているのが目に入る。「昨日までは普通だったのに」。そんなB級パニック映画にありそうなキャッチフレーズが頭に浮かぶ。
 十月の私には、まだその程度には余裕があったということだ。
 訳が分からないまま時が過ぎ、季節は十一月になった。
 その頃には十月にはかろうじて会話をしてくれた数人の友人も、ただ私を眺め笑う集団の一部と化していた。
 何が悲しくて。目の奥がジーンとする。
 掃除の時間、ベランダに1人座って空を眺める。
 群れから少し離れた位置に雀が飛んでいるのが見える。
「おい、何してるんだ。仲間はずれにするなよ」
 何が悲しくて。それは雀に言ったのか、それとも――
「何で掃除しないの?」
 放課後に呼び出され、掃除場所の担当の英語教師が私を叱る。
「あなたのせいです。あなたが掃除をサボっていた連中を無理矢理トイレ掃除に割り当てたから、掃除が出来なくなったんです。それまでは一人でトイレ掃除をしてました」とは言えず。
「罰として帰る前に掃除して」
「はい」と笑顔で返事をしたのは、こぼれ落ちそうになる涙を隠すため。無言で職員室のドアを閉めたのは、震える声を隠すため。
 十一月の私にはもはや、無視をされながら掃除をする余裕はなかった。
 トイレのドアから空が見えた。寒空の中、運動部のかけ声が響いている。
 掃除は好きだ。箒は無視をしないから。
 ちりとりでゴミを取っていると、二、三滴の水が床を濡らした。
 幸いなことに、誰も見てはいなかった。
 十二月。いよいよ寒さも本格的になってきた。
 休み時間、教室の中央に設置されたストーブに群がる笑い声。
「見ろよあいつ。震えてる」
 そんな声を聞きつつ、私は教室の隅にある自分の机で震えていたらしい。ストーブの方向からした声に気づき貧乏揺すりをやめる。自慢じゃないが私は寒さが大の苦手で、寒い場所にいるとすぐに歯が鳴り出す。ストーブに近づけない今、せめてもの暖をと思い足を揺すっていたが、どうやら私には暖を取ることすら許されないらしい。
 寒さの中、自分の席から動く余裕すらなくした私は、ただ奥歯を噛みしめた。
 冬休みに入り大晦日がやってきた。
 この二ヶ月、何度「明日になったらみんな普通にもどっていて自分に話しかけてくれる」と思いながら布団に入ったことか。何度「これは悪い夢だ」と念じたことか。
 大晦日は何に祈るのかは知らないが、「来年こそはまた仲良く出来ますように」と願いながら私は床についた。
 一月。何もかもが新しくなる月。
 冬休みが終わり、少しの不安と大きな期待で登校した私を待っていたのは、無慈悲な視線だった。
 ついに誰とも会話ができなくなった私は、教室に置かれた傀儡、いや、ただの石だった。
 涙で視界が歪む帰り道、「負けるものか」と強く思った。
 絶対に耐え抜くんだと誓った一月には、既に涙を家に着くまで我慢する余裕はなかった。
 二月に入って数日しか経っていなかったと思う。いつものように私を嘲笑う集団の中で、一つの単語が聞こえた。それはひどく幼稚な、私の本名をもじったあだ名のように聞こえた。
 何が琴線に触れたのかは分からない。ただ静かに、何かにひびの入る音がした。
 それからどうやって一日過ごしたのは覚えていない。覚えているのは家に帰ると布団に潜り、眠るまで大泣きしたということだけ。
 翌朝目を覚ました私は、親に学校を休むことを告げた。ただの風邪だと思っている親は何の疑いもなくそれを了承した。
 しかし、そんな仮病も三日目を迎えるとさすがに親も堪忍袋の緒が切れたらしく、執拗に学校に行かせようとするようになった。が、こちらにも行くに行けぬ理由がある。私は布団の中でうずくまると、「行かない」と叫んだ。
 四日目、朝。
 泣き叫ぶ声と共に部屋のドアが開けられると、勢いよく布団がはがされた。
 完全にヒステリーを起こした母親が私の寝間着を引きちぎり、学校に行かせようとする。わあわあと叫んでいる言葉に耳を傾け、私は硬直した。
 書きたくない。その間に叫ばれていた暴言の数々を、私は書きたくない。
 それはひびの入った私の何かが壊れたのは、その時だったから。
 布団を握る手が揺るんだ。
 目の前で私の体を揺さぶる女がいる。
 壊れた私の瞳には、もう涙はない。
 目の前で泣き叫ぶ糞がいる。
 壊れた私の心には、もう光はない。

 

題不明 2013年

 酒を呑みに行って、まず頼むのがビールである。ビールは大変に美味い酒だが、私はそれ以上にウイスキーを好んで呑む男である。この機会に、私の好きなウイスキーについて、一筆したためておこう。
 フロムザバレルは、ボトル二千円という安価な酒である。度数は五〇ある。ウイスキーとしては高めの部類だが、度数の高い酒にありがちなアルコール臭や、舌の痺れる感じは全く無い。それだけで驚きだが、それ以上に、初めてこの酒を呑む者の驚くのはその強い甘みである。端的に言えば、この値段帯のウイスキーで、フロムザバレルを超える物はない。人によっては、五千円クラスに匹敵する味だと評価する者もいる。しかし、一つ難点を挙げるとすれば、瓶の形状が独特なことである。ジョニーウォーカーの瓶を寸胴にして、さらに短足にしたような瓶をしたフロムザバレルは、最初の一杯を注ぐ際に、必ずこぼれるという特徴がある。それがなければ、この酒はジャパニーズ・ウイスキーの頂点を極められただろう。
 呑みすぎて倒れた唯一の酒がある。それが、かの有名なザ・マッカランである。ウイスキーの王とも言うべきこの酒は、その有名さが逆に仇となり、自称ウイスキー通の人間に好みを訊かれたとき、この酒の名前を出すと未熟者の烙印を押されてしまうという難点がある。けれど味は本物で、金色の液体をぐっと流し込むと、途端に広がるシェリーの甘みはまさに芸術品。くどさがあとに残らないところも見事である。
 最後に、王宮の酒、ロイヤルサルートについてを書いて締め括るとしよう。元々は、エリザベズ二世の即位を記念して限定品として作られたこの酒が、日本の苦学生の喉を通ることになろうとは、時代の流れは恐ろしいものである。容器には青、赤、緑の三種類あり、私の買ったのは青色であった。私がこの酒を手にしたとき、何とも言えない高揚感を感じながら、それでもやはり、とんでもないものを買ってしまったという恐れがあった。私のような若輩者が、本来口にしてはいけない代物である。せめてもの免罪符として、そのとき近くに寝ころんでいた祖母に、記念すべき一杯目を進呈することに決めたのは、私の覚悟が足りなかったせいである。
 祖母は酒に弱かった。一口舐めて吐き出したその姿を見て、私は哀愁のようなものを感じていた。そのあとに自分でも呑んだ。確かに美味い酒である。ところが、呑むたびにむせる祖母を思い出して、どうしようもない感情に襲われるのだ。私がこの高貴な酒を、炭酸水で割ってさっさと呑んでしまったことを、エリザベス二世は許してくれるだろうか。近々英国へ行って、直々に謝ってみようと思う。ロイヤルサルートの三色すべてを、土産に持っていくべきかを考えあぐねている。

 

無題 2013年

 私にとって、詩を書くのは生来初の試みである。詩は、小説とは違った端的さで表現する。その短さ故に、書いていればそのうち軌道にのるだろう、というのは通用しない。私自身、できるだけ小説的な冗長さを排除して書くつもりである。そろそろくどくなってきた。免罪符はこれで十分だと思われる。

 観測

故郷の友は みんな街を出て行った
実家の荷物は みんなここに持ってきた
一ヶ月前 私の故郷は東京になった
私を作る世界のすべては 今ここにある

私のいない私の街を 私は想像できない
私の飼っていた犬は 私のいないことに気づかず吠えるだろう
母と父は 私のいないことを安堵している

観測が 脳を通して世界を作る
観測できないもの 存在しないもの
遮光カーテンの向こう側を 私は知らない
曇りガラスの向こう側を 私は知らない
私は知らない 私のいない故郷の街を
きっと そんな街は存在しなかったのだ

私を作る世界のすべては 今ここにある


 我先にと

会社へ向かう男たちが、道を急ぐ。
学校へ向かう子供たちが、道を急ぐ。
幼子を連れた母親たちが、道を急ぐ。
別に急いでいない私の横を、苛立たしそうに追い抜いていく。
空が青かった。
誰も見ていない。
どこかの車が警笛を鳴らす。
誰も聞いていない。
寒空の下、一様に背中を丸めて歩く人々。
東京の空には星がない。
そんなことをふと思い、立ち止まって空を仰ぎ見た。
途端にぶつかるのは、青い顔をした女だった。
私の存在を無視するように、女は道を急ぐ。

ゲートボール場の歓声。
幸せそうな老人たち。
給料の使い道は?
老後に備えて貯金。
人生の終わりの、少し手前。
その場所にあるゲートボール場に、皆がせっせと歩いていく。

 約十日を費やして、自身の深部より編み出したのが、以上の二編である。そもそも、私と詩との出会いは、今から三年ほど遡る。太宰治の『葉』という短編の冒頭に、『選ばれてあることの 恍惚と不安と 二つ我にあり』というヴェルレーヌの言葉がエピグラフとして載っているのを読んだのが、詩との劇的な出会いであったと思う。。それまでは詩に対して、教訓的なイメージを持っていた。道徳を伝搬し、子供に倫理観を植え付けるもの、という印象が、どうしても拭えなかったのだ。本来、詩や短歌、俳句の部類は、小説や随筆のように比較的長い文章の作品よりも、難解なものに属していると思う。いわゆる警句と呼ばれる表現は、熟考したからといって思いつくものではない。技巧を度外視して考えた場合、詩の良し悪しは、直感の質で決まるのではないかと思う。
 対比として、技巧を駆使して創られる表現が、言語遊戯、言葉遊びの類である。『将棋指す手をつくづく見れば、やっぱり恋路が同じ事。この手で利くのか利かぬのか、飛車を使って呼び出す。角の次第と駒々に、語れど先が歩に墜ちず。とんだ桂馬に跳ねられて無駄に使った金銀は、詰まらないではないかいな』という俗曲の一節を聴いて、言葉の無限性に気づかされた。
 日本語の曖昧さ、日本人の曖昧さには、時折閉口させられる。しかし、曖昧でない日本語は、日本語として成立しないのではないか。曖昧であることを認め、それを受け入れることが、さらなる段階へ進む手がかりになるのだろう。

文章を書くということ 2015年

インターネット時代が到来して、世の中は未だかつてないほど文章で溢れている。
日本人は他国の人と比べても文章に触れる機会が多いという。
そんな実感はないというのが大半の意見だと思うが、電車やカフェで目にする人々は
確かに何らかの端末や本を片手にくつろいでいる。


読む頻度が増えれば、そこには自ずと金銭が発生する。
不況と言われて十数年が経ったが、文章で食っている人間が
好況であった時代は短く、限られたものだった。


それに比べて現代は、ある種のバブルというべきかもしれない。
読む機会が増え、同時に書く欲求の虜となった人々は
手軽さに後押しされる形で文章へ飛びついた。


ケータイ小説などが流行ったのも今は昔。
現在ではより複雑化しているようで
需要ごとにサイトが分けられて、独自の文化を作っている。

本を読む人、読まない人で一体何が違うのか 2015年

私が小学生だった頃は「10分間読書」なるものが毎朝行われていて
朝のホームルームと1限目の間に、漫画以外の本を読むという習慣を
10分間で付けさせようという、あまりにも無謀な試みに付き合わされていました。

 

偶然か中高になっても10分間読書はあって、高校生になると20分だったかも
しれないけれども、とにかく教師たちは、たとえ10分だとしても読書することが
世界を救うのだとでも言いたげに勧めてきたものです。

 

電子の時代が到来し、文章を読む機会は増えた。
相対的に紙媒体での読書量低下が叫ばれたのも今は昔。
現在ではむしろインテリや頭でっかちといったワードで
読書より経験を重視する傾向が高まっているように感じます。

 


インターネットには、根強い読書ファンが多数います。
読書ファンという言い方もどうかと思いますが
彼らが読書に必要以上の効能を求めていることは事実で
本を読むことで万物を理解できるとでも言わんばかりの勢いです。

 

外国とは違い、日本では簡単に本が手に入ります。
わざわざネットで注文しなくとも駅前や商店街には大抵本屋があるし
古本屋に行けば、100円200円で本が買えます。
場合によっては無料で置いている古本屋もあるくらいです。

 

1冊も本を持っていない状況で読書しようと思っても
1時間あれば何かしらの本を手にできる世界で
本を読む意味があるのでしょうか。

 

単に自己満足、自分が楽しみたい目的で読むのなら大いに意味はあります。
書物ほどコストパフォーマンスのいい娯楽は他に無く
長い時間をかけて読む価値のある本だけを羅列していっても
生涯をかけて読みきれないくらいの量があるでしょう。

 


視点を変えて、他人から見た場合はどうでしょう。
よく言われるのが、趣味として読書を掲げるのはどうかという問題。
読書、では何やら範囲が広すぎる気がしますし
陰気なイメージがあるのはどうしても拭えません。

 

本嫌いを豪語するよりはいいが、大々的に趣味と言われるとちょっと付き合いづらい。
読書が趣味という人と話していて、好きな本、好きな作家、好きなジャンルを尋ねて
話が弾んだことは一度もありません。

 

・語彙語彙と繰り返す輩

本を読めば語彙が増えるらしいことは知っている。
実際に語彙は豊富になると思います。
けれども何事も良いことだけ起こるというのはありえません。

 

語彙が増えると、これまで相手の言葉に対しAしか返せなかったのが
AとB、更にはABCと、どんどん数が増えていきます。
最初は感心されたりして気持ちがいいでしょうが
そのうちに困ったことがおきるでしょう。

 

言葉はすべて既にあったものです。
新語でも、既にあるものの言い換えや、概念に語を当てはめたものが多く
自分で新しい概念を作り、命名するという作業をしない限りは
まったく新しい言葉ができるというのはありません。

 

つまり語彙が増えるというのは、既にあるもの脳の中に放り込んでいるだけであって
それによって考え方が変わったり、金の稼ぎ方を思いついたり
手を使わないで泳ぐ方法を発明することはないのです。

 

むしろ逆に頭にある言葉だけが増えていき
これまではAだけを返せばよかったところが
B、Cも選択肢に入ってくるので、何を選ぶかセンスが問われることになります。

 

他人が感心するのは言葉のような“方法”ではなく
言葉のチョイスや感覚といった内面です。
極端な話、内面を表現したいときに、言葉を考える必要などなく
既にある誰かの言葉を少し変えてやればいいのです。

 

偉人の格言や、古い本のセリフをそのまま使っている有名人もいます。
たいていは自分で言わない限りバレることはないし
バレたとしてもある程度は許される仕組みになっています。

 

さらにもうひとつ語彙に関する弊害があります。
自分は本を読むので知っている言葉が増えていく。
しかし他の人は?
そう、知っている前提で話しても伝わらないという現象が増えていくのです。

 

結局わかりやすい言葉で説明し直すので、二度手間になるうえに
会話のテンポがずれるので、関心などと言っている場合ではなく
あの人はめんどくさい人だ、気難しい人だと言われてしまいます。

 

結論は、語彙をやたらに増やす必要ななく
専門的な会話を求められる場合と、専門的な人々と交流を持ちたい場合のみ
新しく覚えることにしたらいいでしょう。

 

・金銭的な損得

昔から、年収○○円の人は何冊本を読むだとか
簡単に儲けるための○つの方法といった本が売っていたりと
本と金銭を絡めた話はよく聞かれます。

 

具体的な理由についてはわかりませんが
そのような広告を見かける際、必ず書物の画像や絵をセットになっていて
それも大量の本が綺麗に整列してあるものが多いです。

 

これは素人の憶測ですが、おそらく本とお金(紙幣)の共通点は
紙であるということ。
確かインクと紙の匂いにはある種の興奮作用があり
ドル札の匂いがする香水もあるとか。

 

視覚的にも効果があって、たくさんの本を見て
同時にお金の話を見聞きすると、通常の場合より
信用してしまう傾向があるのだと思います。
もちろんこれは憶測なので根拠はありません。

本棚.jpg

これは私の家にある本棚です。
本もタダではないので、得をするといった場合には
所持している本を手段に、かかった合計額より多い金額を得るか
またはそれに準ずる経験をした時に初めて得だと言えます。

 

私を例にしてみると、この量の本であればお釣りがくるくらいの得はしています。
が、本を読まない人がどういった点で得なのか上で書いたように
読まなかった場合でも相応の得るものはあったと思うので
どちらがいいとは言えず、プラスマイナスゼロといったところでしょう。

 

本、と一口に言っても、読む人読まない人がいるのだから
一概に良いものか悪いものか断定できないのは当然。
良いならば皆読んでいるし、悪いなら読みません。
ひとつだけ確実なのは、人生は有限であり本を読むには時間がかかるということ。
もうひとつあった。
本に未来は書いていない。

類は友を呼ぶ 人生操作 2015年

類は友を呼ぶという諺がある。
自分と似ている人は自然と集団を作り仲良くなるという意味だが
この言葉を聞くようなとき、いい意味で使われることは非常に少ない。


暗に友人の素行が悪いことや、たしなめる意味合いで使われることが多いのは
残念だが、個人ではなく集団を批判できるという点において
この諺が秀逸な出来であるのは確かだ。


この諺を逆手に取って、友人を選ぶことによって自分の境遇を
良くすることはできないだろうか。
人間、慣れない環境や馬の合わない友を持つ以上に辛いことはないが
ここは我慢して、人生操作に興じてみよう。


A君はいわゆるヤンキーというやつで、強面、金遣いが荒く学も品もない。
友人に対してだけは誠実だが、とにかくマッチョな男である。

B君は学も品もあり素行も申し分ない。
経済的にも裕福で、休日にはスポーツジムに通う好青年だ。
人付き合いが上手で、知り合いと呼べる関係であれば
三桁はくだらない友人がいる。


この両者を比べてみて、友人になるならどちらが良いかと尋ねれば
十中八九はB君と答えるだろう。
B君と出かけるのは楽しそうだし、新しい世界や、新しい価値観と出会えそうな気がする。


A君と付き合ってみるのも面白そうだが、下手に近づけば火傷しそうな雰囲気だ。
周囲からの目も気になるし、友人には誠実だといっても
人間いざとなると本性が見えるものだ。とばっちりを食らってはかなわない。


これは極端な対比に思えるが、実際の人々、特に先進国と発展途上国の人で
比べた場合などは、これ以上の差がある。
我々の周囲だけで考えてみても、絶えず世代論や性別論が交わされているし
収入による差別や、詐欺がまかり通っている。


リスクは少ないほうがいい。
話の流れ的にはここでA君を持ちあげたいところだが
残念ながらそれはない。
B君の勝利でこの話は終了だ。


このように、明らかな地雷を踏まないよう友人関係に気を配り
得をするような関係のみを築いていけたとしたら
人生はなんとバラ色になることだろう。


類は友を呼ぶ。類を偽装し、同化することによって
益を生み出す最高の商売ではないか。
もちろん、すべてが上手くいくことなどありえないが
結構な割合ですべてが上手くいっている人間がいるのは確かだ。


ルカによる福音書14章にこんな記述がある。
もしあなたが何かしらの集まりを開くとき、金持ちは呼ばないほうがいい。
彼らを呼べば、後日彼らから返礼を受けるだろう。
それよりも貧乏人を呼べば、彼らには返礼ができないから
その代わり復活の際には必ず報われる。
なるほどキリストらしい言い分だ。


私は最近、友人について考える。
年齢のせいもあってか、良くない状況にある。
それはきっと類は友を呼ぶの法則で、自分にも原因があると考えていた。


友人は貧乏ではないが、それでも復活の時報われるのなら……。
打算について、キリストは何も言わなかった。

娯楽、時間、消費、金銭 2015年

娯楽の何たるかを説明できる人間は少ない。
ある人は生きる意味そのものと言い
またある人は無駄と切り捨てる。


近代に入り、娯楽の範疇が大きく広がった。
余暇、という言い方も今ではあまり聞かれないが
昔は“貧乏暇なし”というように、娯楽は経済的に裕福な者の特権だった。


それが、社会が豊かになるにつれ、食い扶持を稼ぐだけなら
それほど長い時間働く必要がなくなっていった。
余暇を手に入れた中流以下の人たちは独自の娯楽を発展させ今に至る。


もともと娯楽というのは、社会生活や常識の外にある
消費活動の意味合いが強い。


普段言えないことや、溜まったストレスを発散する場
それも自らが行うのではなく、他人が行っている様を
観察し楽しむのが娯楽のあり方であったと思う。


かかる時間は、なるべく短いほうが良かった。
短い時間に大きな快感を得られるならば
手にする満足も非常に大きいだろう。


一方で現代の娯楽の特徴は、自己表現の側面が加わった点にある。
スポーツ、芸術、あるいは旅行。
これらに共通しているのは、経験の先に交流を想定していることだ。


人は、自分の知っている物事を相手も知っているような状況
共通の認識が通用する間柄を“親しい”と思う傾向にある。
それだけでなく、安心したり好意を抱いたりすることもあるくらい
情報の共有が持つ力は強大だ。


しかし同時に、過度な承認欲求がもたらす事故、事件は枚挙にいとまがない。
娯楽とは本来息抜きであるはずなのに、神経をすり減らし
まるで義務の如くに縛られている様は、病的といえるだろう。


最近は一人でできる○○などの娯楽に注目が集まっている。
過剰に繋がりを求める実生活から一歩退いて
たまには一人きりで時間を消費する贅沢を味わうのも
なかなか乙なものかもしれない。

稼げるのかどうなのか、YouTuberの現状と今後 2015年

今世間で注目を集めているYouTuberなる職業。
テレビCMでも取り上げられていて
新しい職業の形を、自由を強調する風にPRしているのが印象的だった。


特に去年は、YouTubeを利用している者にとっては
革新的な年であったと思う。
企業とのタイアップ。ネットの枠を超えた仕事。
タレントとしてテレビ出演したり、まるで時代の寵児かの如くに
扱われている様は、不気味でさえあった。


悪い予感は的中するものである。
年が明けてすぐの頃、世間を賑わしたのはまたしてもYouTube絡み。
その扱いは、昨年のものとは一変していた。

・つまようじ混入事件

再生回数を伸ばす目的で犯罪を犯したり
過激な放送で人を呼びこむという手段は
これまでにも何件かあった。


ネット内では事件のたびに騒ぎとなっていたが
ニュースになるようなものは少なく
警察沙汰になったとしても、たいていは関係者同士の話し合いで片付いていた。


つまようじ事件では、そうはならなかった。
犯人である19歳少年の立ち回りもまずかったが
何よりYouTubeという媒体が注目を集め、テレビマンの未来は如何にと
自虐的な雰囲気に包まれている中で、この事件が起こったのだ。


YouTubeの台頭を快く思っていなかったタレント及び
コメンテーターの面々が、ここぞとばかりに口を開いた。


「動画投稿サイト自体が悪」
「なくなってしまえばいい」

これらの発言は、少年の事件について意見を求められた
コメンテーターが実際に言った言葉である。


・変化の年

この事件だけに限らず、YouTuberをめぐる環境は常に変化している。
そもそもインターネットそのものが新しいメディアで
その中でも淘汰を繰り返してきた末、偶然今人気を博しているのが
YouTubeである、というだけの話。


数年前ではmixiが永久に続くと思っていたし
ブログは発展を続け、何年経とうが若者はメールの虜かと思っていた。
しかし現状はそうでなく、LINEが登場し、Twitterがブログ文化にとどめを刺した。


さてYouTubeとYouTuberの関係は、どれほど新しいのだろう。
昔(というほど前でもないが)からYouTubeを見ていた人は
今でも広告が流れることにイライラしているはずだ。


そう、2013年より前の時点では、広告が流れるなど考えられなかった。
動画投稿サイトが流行った要因のひとつが
“テレビとは違う”ところにあると思う。
それを際立たせているのが“CMがない”ことだったと言っても
どれだけの人が信じてくれるか……。


もちろん、テレビより規制が酷くないという強みもあったが
動画投稿者にとって今ほど“おいしくない”当時のYouTube界では
緩いとはいえ規制を突破してまで有名になろうとする人は少なかった。


試験的な運用が済み、晴れて広告制度が導入された2013年。
これにより動画投稿者は再生されるたびに幾らかの金銭を貰え
またスマートフォンの普及で大量の若者が注入してきたのも相まって
YouTubeの存在は爆発的に拡大していった。


・対立、殺伐としたファン同士の争い

テレビで広告を出したのはまずかったと思う。
今やYouTuberは飽和状態にある。
YouTuberの数より視聴者の数のほうが圧倒的に多いのは
これからも変わらないとは思うが、何より問題なのがコンテンツ不足ということ。


例えばゲームタイトルで検索をかけると、複数のYouTuberが動画を投稿していることがわかる。
テレビで例えるなら、同じ企画だがキャストが違うという番組が局ごと分けられている感じだ。
チャンネルを回すと、同じ背景の前に違う芸人が立っているが、いかんせん企画が同じなので
それほど差がなく、似た部分で驚いたり笑ったりしているのが延々と流れている。


メントスコーラ、シナモンチャレンジ、巨大○○、商品レビュー。
面白いのが、英語で検索をかけると英語圏のYouTuberが同じことをしていて
フランス語ならフランス人が同じことをしている。


一見自由だけれど、動画という制約の中で物事を伝える
それも“面白さ”を求めている視聴者に、継続的に動画を提供し続けることの大変さは
想像に難くないだろう。


私は以前脚本を頼まれて書いたことがあるが
話を30分に収めるのはなかなか難しい作業だった。
YouTubeの場合は、30分では誰も見ないだろう。


長くても10分より短い。
多くのYouTuberは5分程の動画を中心に投稿している。
ゲーム実況でさえ、30分の物はそれほど見当たらない。


動画という形式。5分という縛り。
こうした環境の中、途切れることなく動画を作り続けた人のみが
今、大物と呼ばれ活躍している。


・どこまで持つのか

今後も同様にしたスタイルを貫くとしたら
おそらくYouTuberの寿命は短いだろう。
コンテンツ不足は緊要に解決すべき課題であり
無理ならば他の部分でオリジナリティを発揮していく必要がある。


それでなくとも流行り廃れが激しいネット業界。
YouTubeというサイトは残るとしても
YouTuberが存続できる期間は、持って5,6年だと予想する。


あと5年でどれだけのメントスがコーラにぶち込まれるだろう。
ちょっと想像したくない。

ねずみ穴―夢オチの元祖物語 貧乏脱出 2015年

最近、落語に興味を持っているという若者が増えているらしい。
歌舞伎や能といった伝統的なものよりは取っ付き易く
かつ落語家によっては現代の言葉で、時事ネタを新作落語としてやっている人もいるので
その辺りが人気の要因になっているようだ。


落語に限らず、伝統とか古典という言葉を聞いただけで
拒否反応を起こす人は多い。
その原因は、古典趣味を持っている人がやたらと独善的だったり
ウンチクを語りすぎるところにありそうだ。


落語を始めたいが、よくわからない。
そのような人がいたら、ぜひ勧めたい落語がある。


・夢オチの美学

何がどういうわけか、夢オチを嫌う人が多い。
これまであった事がすべて無かったということになるので
何か損をしている気分になるのは理解できるが


夢オチの作品の場合、たいていはいい方向に物語が収まるのが特徴だ。
悪いことが続いたり、非現実的な場面が唐突に出てきたりという後に
「夢でした」となって終わり、というのが基本的な夢オチだが
最後に安心するという感覚は、物語を鑑賞する中で重要であると思う。


さて、この鼠穴なる落語は、最初から暗雲立ち込めている。
金のない若者がひとり江戸へと着いたばかりで
何をしたらいいのか分からない状況にある。


とにかく腹が減って仕方がないが、何しろカネがない。
金がなくてはモチベーションが上がらぬとのことで
地元の兄が江戸で商いをしているという情報を頼りに、その場所へ向かう。


兄貴は確かに江戸にいた。
それも結構な成功を収めていて、人に金を貸すのも慣れている様子。
ちょうどいいとばかりに借銭を頼み込む若者。
1両か、2両。話の流れで、当面暮らしていける金だけでなく
新しく起業する資金も借りることになった。


1両の価値は、今なら10万円~20万円くらい。
兄貴は金を包に入れて、若者へと手渡す。
「使い込むんじゃないぞ」と釘を差しながら。


使い込むなと言われても、腹が減っては戦はできぬ。
地元でヤンチャしていた時分に「茶屋酒」を覚えた若者は
借りた金で早速一杯やろうと包を開けてみる。


すると中に入っていたのは、1両でも2両でもなく3文の銭であった。
早起きは三文の得で知られる3文という金が幾らかは諸説あるが
数十円~300円くらいの価値があるらしい。


300円だとしても、酒を飲むには足りない金額だ。
「使い込むなよ」と言われて渡されれば相当の金額だと
予想するものだが、兄貴はその裏をかいたのだ。


馬鹿にしやがって……。
若者は憤怒に駆られて3文を地面に叩きつけるが
やがて思い直したかのように拾い出す。
「地面を掘っても3文の銭は出てこねえ」


それからというもの、若者は別人になったかのように働き出す。
文字通り朝から晩まで、江戸の街は働こうと思えばそれなりに
働ける仕組みになっていて、ほとんど時間を売るような形で
朝、昼、晩と違う商品を売り歩いて回った。


金が貯まる仕組みは単純だ。
使うより貰う額が多く、なるべく使わなければ貯まっていく。
10年が経ち、若者は大勢の使用人を使う旦那へと成長していた。


10年間、ずっと頭にあったのが、あの日貰った3文の金。
3文とはいえ借りた金。それも商売の元手として借りて
今では街の一角を陣取る大旦那になった。


10年の時を経て、若者は兄貴へと会いに行く。
「待っていた」と兄貴は言う。
「あの日俺はお前に金を貸した。1日で戻ってくるかと思った。戻ってこない。
10日で戻ってくるかと見ていた。戻ってこない。いつの前にか10年だ。大したもんだ」


兄は、弟の浪費癖を見破っていた。
あの場で1両の金を貸すことは出来た。
しかしいくら貸したとしても、使うことしか頭にない人間には
ザルに水を注ぐようなものだ。


その晩、和解したふたりは兄弟仲良く酒を飲み交わす。
久しぶりで気分も弾み、泊まっていけと迫る兄だが
若者は自分の家にある蔵が心配で、もし火事になれば大事だからと拒む。


兄はそれでもいい、火事になって焼けたとしても
自分の家の番頭を任せるから安心しろと言いくるめ
それを断ってまで帰る理由のない若者は、結局泊まっていくことになる。


深夜、遠くから半鐘を叩く音に起こされる兄。
家の者をすぐに呼び、どこが燃えていると聞けば
案の定、若者の家がある界隈に火が出たという。


すぐに若者を起こし、家へと向かわせるが
既にもらい火を受け屋敷は炎上。
幸い怪我人はなく、走って駆けつけた若者を使用人一同が迎える。


「番頭さん、蔵は見てくれましたか」
「ええ、目塗りだけはなんとか」
「目塗りしてくれたらいい。それで鼠穴にも塗ったか」

 

は? とうろたえる番頭。
急いで蔵に使用人を上がらせて、屋根をはがしてみると
鼠穴から入った火で一面燃え盛る海と化している。


間一髪、使用人が屋根から降りたところで崩れ落ちる蔵。
1番蔵、2番蔵と次々と崩れ去り、あとには何も残らなかった。


奥さんが財布に小銭を貯めていたのを元手に
また新しく商売を初めてみるも、ひとつ転ぶとどうもうまくいかない。
あれもダメ、これもダメで次第と気も病んでくると
今度は奥さんが病床につく。


「兄貴のところへ行ってくるから」
あの晩、蔵が焼けたら雇ってやるとまで言っていた兄貴。
家へと向かうと、兄はどうもよそよそしい態度で座っている。


「お聞きの通りの有り様で、もう一度商売しようにも元手がない。
兄貴に50両ほど援助してもらいたいんだが……」


昔は3文だった。しかし今から3文で始めるわけにはいかない。
若くもないし、妻も子もいる身である。
そんな必死の頼みを、「ダメだ」の一言で撥ねつける兄。
約束が違うと詰め寄るも、あの時は酒を飲んでいたからと一向に受け合わない。


泣く泣く兄貴の屋敷をあとにして、娘と二人、道を歩いていると。
「お父ちゃん、いくらあったらご商売になるの」
「50両なけりゃあダメだ」
「女の子は吉原に売るとお金になるんでしょ。それよか仕方ないんでしょ」


その足で娘を売りに行き、50両を懐に決意を新たにした矢先
暗い夜道、男とぶつかって50両をすられたことに気づく。
「泥棒!」と叫ぶのも虚しく、50両を失ったままアテもなく彷徨った挙句
木の下に辿り着きどこで調達したのか縄を首にかけ一気に転げた。


兄貴に起こされると、そこは忘れようにも忘れられないあの屋敷である。
隣には眠い目をこすりながらこちらを見ている兄貴がいる。
「火事は?」
「ない」
「俺の家が燃えたろ」
「燃えてない」


そう、全ては夢だったのだ。
火事の夢は燃え盛る。夢は土蔵(五臓)の疲れだ。
見事に落ちたところで終劇となる。

・江戸の火事

江戸時代、火事は頻繁に起こった。
火災保険などない時代、焼けたものはそれまでで
なくなろうが壊れようが持ち主の責任だ。


だからこそ異様に恐れられ、商人であればいくつも蔵を
持っているのが当然であったのだが
蔵を持っていたとしても安心はできないという
なんとも悲しい思いが込められているのがわかる。


昔、ゲーム脳などの言葉が流行った頃に
“リセット”という単語が同様やり玉に挙げられたことがある。
一度あったことを簡単に消すなんて言語道断だと言いたいのだろうが
いっそすべて無かったことになれば、と思う瞬間は誰にでもある。


そんな願望をさえ見越して、内包してしまったのが落語といえる。
YouTubeにもいくつかアップロードされていたり
DVDも借りられると思うので、興味があれば見てみるといいだろう。
今では考えられないことばかりだが、何故か懐かしい、そんな思いがする。

黄金風景――中期の始まり 2015年

言わずと知れた作家、太宰治。
日本を代表する作家でありながら、印象だけが先行し
「暗い」とか「地味」とか言われ、作品の話となると
人間失格? 読んだことはないけど暗いことは知ってる、と
言われてしまう悲しい作家でもある。


実際、暗いかどうかと問われれば、明るくはない。
けれども今で言う暗い、とは少し違っていて
消極的な人間、という意味の暗さは全くない。


それどころかこと文学に関しては
精力的すぎるくらいの男で
芥川龍之介のファンだったということもあり
自身が芥川賞に落選した際の発狂ぶりなどは凄まじかった。


当然といえば当然の話で、太宰は自分が最終選考に残った時点で
内通者を名乗る人物から(三丁目の夕日みたく)彼が受賞することは
ほぼ間違いないだろうと聞いていた。


本人はすっかりその気になっていたが
いざ発表されると、そこに自分の名前があるはずの所に
石川達三なる人物が書かれていた。


これは落胆どころの騒ぎではない。
怒った太宰だが、振り上げた拳の下ろす場所がないので困った。
仕方なく当時選考委員会をしていた川端康成に向けて書いた
怒りの文章は、今でも作品集に収録され読める状態となっている。


落選の原因は様々な説があるが、表向きには
太宰の薬物中毒や、素行の悪さだと言われている。
なるほど記念すべき芥川賞の第一回受賞者が
薬物中毒では格好がつかない。


諦めきれない太宰は、第三回の時点でも
川端康成に手紙を出して、「何卒、私に与えてください」と
懇願しているが、これも却下された。


暗い暗いと言われている影で、こうした精一杯の
努力をしているとは、なんとも涙ぐましいではないか。


そんな太宰治にも、比較的明るいというか
他の作家と比べても断然ポジティブといえる時期があった。
太宰治の作品を年代ごと3つに区切り、その中期にあたる作品群がそれだ。


中期、世の中は戦争へと突っ走り
日本中が暗く冷えきっていた時代。
太宰治の文章は、ここぞとばかりに輝いた。


本人にとってみれば、これまで悩みの種だった借金がなくなり
作家としてもまずまずの成功を収め、仕事量も安定した
時代なので暗いほうがおかしいと言えなくもない。


『黄金風景』は、そんな中期の始まりの部分
これまでの自分から脱却しつつ、省みるという
時期に書かれた作品だ。


文量自体は多くなく、原稿用紙で7枚程度の小品となっている。
話も単純明快で、幼少の時分に虐めていた女中と
長い時を経て再開し、その時の自分が落ちぶれている様と
元女中の幸せそうな様を見比べるという内容だ。


太宰治は、代表作『人間失格』の中でも
子供の頃の自分を指して「なんていやな子供だ」と書いている。
往々にして、大きくなってから思い起こす子供時代とは
幸せだったというより恥ずかしいと思うほうが多いのではないか。


無知ゆえの罪。時効。
大抵の人はそれほど気にも留めない事柄が
太宰には苦痛でしょうがなかったのだろう。


小さい頃に虐めていた女中が、今度会いに来るという。
会いに来ると向こうから言うくらいだから
昔のことなど気にしていないだろうが
太宰としてはどうも会いにくい。


そこで約束した時間にわざと家を出るのだが
玄関先で女中と出くわしてしまう。
急ぐふりをして切り抜けるも、本当は急ぐ用などないのだから
当然行くあてもなく、戸外をぶらついていると突然


「負けた」という感覚に襲われる。
そして、家へと引き返す際に偶然海岸から声が聞こえ
行ってみるとそこには女中と、その家族が仲良く遊んでいる。


家族たちはちょうど太宰の話をしているが
悪口を言っているのではなく
ことさらに褒め、女中に至っては、虐められたはずの当時を
思い出して、更に褒めていた。


二度目の「負けた」が来て、家族に対し心のなかで
賞賛を送る太宰。そして、この話は終わる。


単純な話ではあるが、太宰治の癖として
私小説ふうに書きながら、実際にあった出来事を
殊更に捻じ曲げることが多々あったという。


この黄金風景も、本当にあったのか
完全な創作かはわからないが
この女中の存在は、太宰にとって愛憎の象徴であったのだと思う。


文学にせよ、薬物や金銭的不安にせよ
苦しめられた経験がありながら
太宰は最後までどれからも逃れられなかった。


中期のはじめ、多くのものから脱却しようと試みた太宰。
もし脱却できたとしても、本当にそれでいいのか。
苦しめられただけで、救われたことは一度もなかったのか。


そうした考えの中で「負けた」の一言を書いたのだとしたら……。
黄金風景は、一読する価値がありますよ。

山椒魚と生き方 黄村先生言行録 2015年

電車内の広告など、ポジティブな生き方や人生を謡うものが増えている中
それを眺めている人たちの、なんと表情の暗いことか。
時間に追われず、したいことをするといえば聞こえがいいが
それはつまり自分の責任は自分で負うという生き方。

どこに価値を置くのかは人それぞれですが
自由に価値を置き過ぎると、大変なことになりかねません。

太宰治の、黄村先生言行録という短編はコメディに見えるようで
生き方について、現代人に通用するような訓戒を含んでいます。


・作家を魅了する“山椒魚”

太宰治の師匠に、井伏鱒二という作家がいます。
作品『山椒魚』は教科書で読んだことのある人が多いと思います。
この作者が何を隠そう井伏鱒二その人で、弟子である太宰治も同じ山椒魚を
テーマにして作品を書いているというのは、奇妙なことです。

井伏鱒二の『山椒魚』では、頭でっかちが行き過ぎて袋小路に陥ってしまう
存在として山椒魚が登場します。
一方で『黄村先生言行録』における山椒魚は、先生と呼ばれる老大家を魅了する存在です。

今では井伏鱒二も太宰治も昔の作家、というイメージですが
井伏鱒二は93年まで生きていた作家で老大家のイメージが
かなり強い人物でした。

小説家といえば、早死や不健康のイメージがあり
老人の書く小説というのは、長い間日本には存在しませんでした。
初めて老人文学と呼ばれる作品を世に送り出したのが
志賀直哉、井伏鱒二、大江健三郎などの作家です。

結果、老人文学を誕生させた彼らですが
当時から文壇では際立った存在で、とくに井伏鱒二に関しては
盗作騒動が持ち上がるも雰囲気の怖さで誰も近づけなかったという逸話を持っています。

・弟子と師匠

そんな井伏鱒二の一番近くにいたのが太宰治です。
太宰が作家デビューしてからは会う機会も少なかったようですが
お互い気に掛けあって、傍目から見てもバランスのとれた師弟だったそうです。

頭でっかちの気は、当時からあったのでしょう。
文壇でも過激な方面で目立っていた太宰と
堅実なスタイルである井伏鱒二は、時々衝突していました。
そこで生まれたのが『黄村先生言行録』という説があります。

・風流を解さない人

初めに、黄村先生が山椒魚に凝って損をした話をしよう。
最初からやっつけられいる先生は、作中常に損な立ち回りを演じる。
「先生、梅」
「ああ、梅」
「先生、花はお嫌いですか」
「たいへん好きだ」
先生は口では好きと言いながら、自然関しては無頓着なようだ。
「先生、鰻がいます。面白いですね」
「鰻、生きているね」

とんちんかん、といえばそうだが、どこか面白みのある受け答えである。
仕組みは単純で、なるべく語数を少なくして、シンプルに答えているだけ。
けれどもその先生が、山椒魚を一目見て一変する。

古代の匂い、深山の巒気、とにかく褒めまくったあとで
山椒魚が何者なのかを語るくだりで言葉に詰まる。
「これは、魚類、水族だから、おっとせいの部類か」
大真面目にこんなことを言うのだ。

後日、弟子は山梨県のとある村に出かけた際、見世物屋が大山椒魚を
水槽に入れ、それを仕切りで隠して見物代をとっているのに出くわす。
山椒魚をあれだけ喜んでいた先生だから、きっとこの話にも食いつくだろうと
電報を打って知らせると、返事どころか身一つで山梨にやってきた。

「いくらだ」第一声がこれだ。
「10銭です」と言うと
「それは見物料だろう。私は買いに来たのだ」とのたまう。

すぐさま見世物屋の大将を部屋に呼んで
酒を飲みながら譲ってくれないかと頼み込むが
大将も馬鹿にされたと勘違いして、1万円でも売らないと言い去っていく。
残された先生は、哀れ。二度と山椒魚の山の字も言わなくなった。

・やってみること

現代人の特徴として挙げられるのが、情報過多の時代にあって
何もかも相対的に判断して、何と比べて劣っているだとか
他の某のほうが優れているとすぐに決めつける傾向があることだ。

黄村先生の場合は、美醜の基準、良し悪しの基準は自分のみだ。
花を褒めれば風流だろう。鰻を面白がればさぞ大家風に違いない。
しかし興味が無いならそれでいいのだ。

山椒魚、気になるものがあればどこへでも飛んで行く。
先に電車で何分だとか、運賃がいくらとか、宿がどうとかは知らない。
とにかく山椒魚を買うお金だけを持って家を飛び出す。
このバイタリティの強さは、現代では見られない。

差し引きいくらで動くのも才能だ。
損をしないということは、負けないということ。
けれども負けるが勝ちというように、そもそも勝負の土台から降りて
風邪の吹くままに生きてみるのも悪くないだろう。

虚無の音、やる気情熱を奪うトカトントン 2015年

太宰治作品の中でも、奇怪さが際立っていることで知られる『トカトントン』
他の太宰作品と同じくシンプルな筋なのだが、トカトントンの正体が
語られないまま物語が終わったり、自分もトカトントンを知っているという人が
後を絶たないために、太宰ファンの間でも議論が尽きない作品となっている。

トカトントンについて知らない人のために説明しておくと
「トカトントン」とは遠くで何かを打っている音が
聞こえてくるのに、文字を当てはめたものだ。これ自体は別段謎でもないのだが、この話の主人公にとっては
これを聞いたタイミングが悪かった。
時は1945年8月15日正午。日本の敗戦が玉音放送で知らされた。
放送があった瞬間、全日本国民といっていいくらいの人数が


この放送を聞いていたであろう。
しかし、高等教育が行き届いていなかった当時は
天皇陛下が何を言っているのか、具体的に把握できる人間は限られていた。
だから、通訳というか、放送された言葉を他の徴収に伝える人がいて
多くの国民は、そういった人物を介して敗戦を悟ったらしい。

この主人公も、放送の内容を近くにいた軍人から聞くことになる。
軍人は皆に伝え終わると、涙を流して悔しがった。
その瞬間、模範的な帝国思想を植え付けられていた主人公は死を覚悟する。
もともと勝つつもりで望んだ戦。
戦況を知らされていなかった国民は、軍部の予想以上に落ち込んだだろう。

死のう、と主人公は思った。
その瞬間、遠くで鳴り響くトカトントンの音を聞いたのだ。
わかりやすく言えば「どうでもよくなった」
敗戦だとか、死ぬだとか、そういった事柄すべてがくだらなく思えた。
くだらないという感覚さえないのかもしれない。
主人公はリュックサックを背負って帰郷する。

・異変のはじまり

それから主人公は仕事を始めるが
戦争が終わり、収入もあるので趣味に没頭するようになる。
絵を勉強してみたり、小説を買いたりと
当時の流行、嗜みのようなものも始めてみた。

しかし、あの時死を思いとどまらせたトカトントンが
またしても彼から感動を奪ったのだ。
すると、熱中していたはずの絵や小説が急に違った物に見え
作者の名前すら、外国の歯ブラシと同じだと言い出す。

トカトントンは彼から熱情を奪っていく。
最初はなんともないが、趣味や仕事が一定のレベルに到達すると
途端にトカトントンがやってきて、あとは真っ白。無感動になる。

・現代にこそ起こりうる

この『トカトントン』は、今こそ語られ読まれるべき作品だと思う。
バブル崩壊以降、日本社会は虚無主義的な価値観に囚われていて
金銭で買える物が信用できず、かといって精神的な豊かさを尊重するには
物質的な豊かさに慣れすぎてしまった。

何を見ても、何を食べても満足しない。
それは過去の幻影に取り憑かれているからだが
いくら昔を懐かしがったところで、時間は巻き戻らない。
やがて彼らはこう思うことで納得しようとした。
「世の中に絶対は存在しない」

明確な基準を失ってしまった彼らは、何事にも熱中できずに
亡霊のように死を待って生きている。
バブルを知らない世代の場合は事情が違って
比較的若い彼らは過去に取り憑かれているわけではなく
上の世代の雰囲気や、教育にあてられているのだと思う。

半ば洗脳に近い形で、盲目的に育ってしまった彼らにとって
トカトントンは馴染みやすい価値観ではないだろうか。
彼らからしたら、トカトントンは遠くの音でも何でもない。
何かしようとした途端、目の前の親、教師、友人から聞かされる言葉。
「やめたほうがいい」「向いてない」「意味が無い」
こうしてやる気が削がれ、熱情自体を失っていく。

こうしてみると、トカトントンは未来を予言して書かれたとさえ思う。
まさしく虚無的な渦の最中にある現代。
作中では、トカトントンから脱する方法として以下が挙げられている。

 

身を殺して霊魂を殺しえぬ者どもを慴るな。身と霊魂をゲヘナにて滅ぼしうるものをおそれよ。
この言葉に霹靂を感ずること。

無題 2020年

純粋に驚いた。二〇一一年から今日までで九年の月日が経過した。九年前というと自分はまだ高校生だったわけだが、その頃から「働けとか働けとか……」と言っているのは面白いと思った。その後も文章のことを考えているようでいて、結局は収入がないとか、学校に行っていないとか、友達がいないとか、そういう類の思考が透けて見える。
 自分のことだからわかるのだが、やはりそういう「月並み」な悩みに引きづられていた面はある。いや、俺も十代だったのだ。二十代前半の男だったのだと妙に納得した。青さ、一生懸命さ、不器用さが愛おしい。
 足立区の綾瀬を引き払った時期がいつだったか、具体的な日付はもう思い出せない。綾瀬に移ってから丸二年は暮らしたと思う。

 

ともかく必死だった。あのときも「働けとか働けとか」思考に陥っていた。働くためにはまず車の免許が必要だということで教習所に通ったのだ。最終的に仮免をとる前に嫌になってやめてしまった。コースを走りだす前にもう嫌になった。
 四〇キロまで加速したあとにブレーキをかけて曲がるとかいう科目中、ブレーキをかけるのが遅かったとかで「俺を殺す気か!」と教官に怒鳴られたりしたから嫌になったのだと記憶している。書いてしまえばバカバカしい話だが、今思っても理不尽な怒られ方を幾度もされていたので、当時の自分を否定するつもりはない。むしろ今同じ状況に立たされたとしてもやめていると思う。
 なぜあのときにこの文章を書かなかったのだろうね。タイミングはあっただろうに。田舎に帰ってすぐに小説を書いていたあのときもこの文章を書かなかった。もう過去を振り返るのはやめようと思っていたのかしら。何しろ五年も経っている。その間にいろいろあった。


 まず二十三歳で教習所に通い、途中で辞める。その後免許がなくても働ける場所をと考えて近所にある酒蔵で働き始めた。バイトとしてだったが、そこでは「何をしに来てんだ」とか「この程度も知らねえのか」とかいうことを一日中言われたので、嫌になってすぐにやめた。一週間ももたなかった。昔なら精神を病む寸前まで(契約期間が短期だからそこまで長くは勤められなかったと思うが)働いていたと思うが、そのときは「ここまで言われるのなら別の人を雇ってもらったほうがお互いにいいや」と素直に思ったので、昼休憩時に帰ってきたときに腰がいたいから午後はいけないと連絡してそのまま行かなくなった。


 それが二十三歳の十二月にあったことだ。さて、働いてみたものの見事に心折られ再び鬱期に入った俺は、約三日働いた金でヘッドフォンを買った。ちょうど壊れていたから買ったもので、特にそれ以外に感想はない。
 その後どうにか人と会わずに金を稼げる手段を、と思い海外の反応ブログを始めた。個人的にこの歳はブログ執筆という意味で、それまでの生涯で一番文章を書いた時期だと思う。

 一年くらいは続けただろうか。マンネリと疲労感、稼ぎが酒に消えていく虚無感、このままでいいのだろうかという焦り、もろもろが重なり、結局はブログをやめてしまった。ドメインの更新料を払わなかったから、満一年は続けていないということか。我ながらクズである。

 

 免許をとったら即就職だという思いから必死にゲームをやった。ついでに免許をとるまでの期間もギリギリまで伸ばしてやった。
 卒検手前にやらなければならない効果測定を受けなかったのだ。具体的には「受けにいってくる」と言って家を出て、コンビニでハッシュポテトと第三のビールを買ってゲートボール場で一杯やる。やり終わったらゆっくりタバコを吸って帰ってくる。親には「三回は解いてきた」と嘘をついた。
 ゲートボール場で酒を飲んでいるときに、「今更俺は何をやっているんだろう」と思った。効果測定を受けないことについて思ったのではない。学校に行きたくなくて、高校に行く手前にある川を上流のほうへずっと歩いていたあの頃を思い出していたのだ。懐かしい気分になったが、悲しくはなかった。呆れが近いかもしれない。俺はもうずっとこうだな、これからもこうだろうな、という諦観。往生際の悪さ。なんかもう面白くなちゃった。


 そして特に理由もなく、そろそろ受けるかという気で効果測定をパスし、免許センターで本免試験を受け合格した。これが二〇一九年の七月の出来事だ。とりあえず就職する前に車の練習がしたいと言い訳をして、夜な夜な父親と一緒に車を運転してみた。行った場所は近所の道だ。とくに面白いこともない。

 

 これからどうなるかはわからない。
 とりあえず自分の中で、夢は諦めた。他人にはいろいろな言い訳をするが、自分にだけは正直にいこう。だいぶ長い間夢をみてきたけれど、いざ諦めてみると思うところはある。一生懸命やったよ。これが限界だというくらいはやれた。後悔はない。次に進もうや。
 俺は成長できたのかね。夢追い人といえば聞こえはいいが、逃げ続きの人生だった。最近読んだ本は『相模原事件とヘイトクライム』って本。ゲームはエイペックスをやったりしてる。三月になったらマウントアンドブレイドの新作を買うかな。
 はじめからこうしておけばよかったと思うか? いや、経てきたからこうなっているんだと思うよ。最初からじゃ、なれない。丸くなったのさ俺も。

 

そして今に至る

読み返すと昔から鬱々しているし、堂々巡りといった感じ。

文章の癖も今と変わらない。

このブログは人生最後の1年間を記す遺書として始めたものだから、これで少しは質が上がったと思う。

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