28歳無職弱者男性の日記

29歳になりました

結婚とは本当に幸せなのだろうか

しつこいようだけど結婚について考えていた

昨日、つまり夜勤入りの日、CAMPFIREのコミュニティを退会した。

介護系のオンラインフォーラムに参加していたが、月540円も金をとっているのに1年6ヶ月の間新しいコンテンツもなし。アップロードされている動画は面白かったけれど、俺はもうその知識に対して月540円を支払う価値を感じなかった。

 

さて困った。540円余ってしまった。

低賃金労働者の540円は安くない。

タバコ1箱、酒2本に変えてしまおうかとも思った。

しかし元々が知識に対して支払っていた金である。だから酒タバコで消費してしまうより、同じく知識に課金しようと思った。

迷いに迷った挙げ句、2ヶ月499円キャンペーンをやっていたKindle Unlimitedをサブスクした。

 

「本は紙でなければならない」「本はもう読まない」と言っていた俺が電子書籍に手を出すとは。

それはともかく、サブスクしたからには何か読まなくてはならない。

そこでふと目についた山本文緒の『結婚願望』を読むことにした。

まず結婚願望という文字列が目についている時点で終わっている。人として終わっているのだ。読み始め、こいつクソ面白いな。やっぱ本はいいなと思いながら夜勤に行き、夜勤中も読んでいた。

 

そして夜勤中の雑談の中で、上の画像の利用者の生活歴の話になった。

彼女は幸せだったのだろうか

時代といえばそうだろう。

それにしてもずいぶんと悲劇である。

俺なら彼女の人生を題材に小説を一本書ける。

 

無職の旦那。浪費癖があり、頻繁に東京に出かける。

そのための生活費をすべて妻に頼っており、妻はそれを受け入れて子育てをしながら夫をも養っている。

歌をうたうんだよ、彼女は。

ペーペーな俺からしたら、最初は「うるせえなこいつ」程度の印象だった。

目が醒めている時間のすべてを歌って過ごしてんだ。

 

昔の歌。毎日聴かされるからググってみたりもした。

童謡ですらない俗歌の類だ。国会のライブラリーにもないような地域の歌。

旅順とか満州とかいう単語がよく出てくる、時代を反映した児童の遊び歌だ。

 

認知症のBPSDに帰宅願望というものがある。

「帰りたい」というやつだ。我々が仕事中に言うやつとはちょっと違う。

無職ニートこどおじの経験がある人ならわかると思うが、自宅の自室にいるときに「帰りたい」と独りごちる瞬間はないだろうか。あの感覚が近い。

あの「帰りたい」は、時空を超越している。

今自分がいるこの場所は自分のためにある空間ではなく、あの頃に、すべてが肯定で満ちていて安らげたはずの世界に戻りたいという感覚。

 

「認知症患者の〝帰りたい〟は自宅を指しているのではない」とは、介護の教科書的な初歩の初歩である。

山田さんはもう自らを山田とは名乗らない。旧姓を名乗るのだ。

16歳より以前の戻ってしまった彼女は、子供のときに友達と歌ったであろうロシア兵と戦う日本兵の歌をうたう。

そして時折我に返り、認知症的な発狂の仕方で「家に帰る!」と叫び暴れる。

俺はなんとなく、その家は旦那と子どもたちが待つところではなく、お母さんとお父さんが待っているところなのだと思った。

家に帰るのパターン

実際利用者の中には、90歳を超えても「お母さんが心配するから家に帰ります」と口に出して言う人がいる。

「あなた何歳? あなたが90歳なんだからお母さんが生きてたら110歳でしょ。もう死んでるのわかる?」と言う介護士はクズでゴミでまったく存在価値がないカスだから自覚したほうがいい。

咄嗟にありえない前提を受け入れたうえでその話に「空想の話として」乗れる話術を兼ね備えた介護士は少ない。

 

90の婆さんが「お母さんに会いたい」と直接言わなくても、そういったニュアンスのことを発しただけでいろいろ察してもうこの世を呪うけどね、俺は。

 

もうひとつが「お父さん(旦那)にご飯を作らなくちゃいけない」だ。

俺はそんなカスの言うことは知らんからこう返す。

「お前が90なんだから旦那もそのくらいだろ。今どき男でも飯くらい自分で作れないカスはいないから大丈夫ですよ」

結局結婚とは

山本文緒曰く自己肯定感を満たすために〝性的な承認〟が必要な人は結婚に向いているという。

あるいは彼女たちは幸せだったのだという。

女は飯を作るのが仕事という時代、飯は女が作らなければならなかった。

つまりそれは女性性が司る領域の仕事であり、「私がいないと旦那が死んでしまう」になる。

 

誰もが尋常小学校しか出ていないど田舎の場合、価値判断の基準は自分と近所という狭い区間に限られる。

そういった常識の中で生きていたら、「私が働かないと旦那が死んでしまう」になる。

自分の存在が誰かの生命線を握っているという感覚は、すなわち自己肯定感に繋がる。

だから彼女たちは幸せだったのだと思う。

 

だからこそそういうカスに捕まることなく、一人で生きていける女性が増えた現代は素晴らしいと思う。

他人に承認されることを幸せの絶対条件に加えるのはやめたほうがいい。

カスに捕まるよその場合。

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