28歳無職弱者男性の日記

29歳になりました

廻る生活習慣

空が白み始める頃に布団に入り、日が沈む頃に起き出す。
今はそういう時間で生きている。
無職をやっていると、生活リズムがぐるぐる廻る。
だんだんと寝る時間が後ろにずれ込んでいく。
これからの時期は、夕方に目醒めると早朝との区別がつかない。
起床時間が固定されていないと、この時間にこれをするというルーティンが形成されづらい。


好きなときに起きて、好きなときに寝る。
腹が減ったときが食事時で、気が滅入ったときが文章の書き時である。
生活時間が廻るからといって、常人と同じリズムに戻ることは決してない。
午前6時~7時起床の午後10時~午前0時までに就寝という時間帯に生きられる日は絶対にこないのである。
この区間のことを俺は聖域と呼んでいる。
社会人、もしくはやることをやらなければならないと決めている鉄の意思を持った人のみに許された時間。
今の俺にこの時間を生きる資格はない。

 

どうせ夜に起きているのだからと、夜勤の仕事に応募したことがある。
22歳頃の話だからずいぶんと昔である。
棚卸し専門員のバイトで、夜に店が閉まってから開店までに商品の数を記録するという仕事だ。
結論から言って1日で辞めた。
気が遠くなるほど時間の歩みが遅く感じた。
1時間経ったと思って時計を見たら5分しか経っていないという現象を肌で感じた。
そして、夜起きていられるからといって夜動けるわけではないということを実感した。
商品を数えるだけである。
他の人は難なくやっている。
当然だ。面倒でつまらない、誰にでもできる仕事だ。
俺は3分に1度ミスをした。
いや、常時ミスをしていたといっていい。
1個、2個、3個目を数えたところで自分が何をやっているのか分からなくなった。
目の前の作業がどうでもよくなり、1つ飛ばそうが2つ飛ばそうが気にせず数えた。
今思えば、あれは最初から決まった数値があって、その分棚に入っているかを調べていたのだと思う。
俺が担当したところは全部違っていたから、他の人がもう一度調べ直していた。
俺はそれを眺めながら、この会社の社員は死ぬまで深夜商品を数え続けるのだろうかと思った。

朝になり電車で帰宅している最中、この仕事は辞めようと決意した。
世の中に存在している仕事なのだから、誰かの役に立っていることは間違いない。

しかし俺にとっては、賽の河原で石積みしているのと変わらなかった。
俺は罰せられるべき人間だが、罪を償うのは死後でいい。

 

指示、指導、教育

アルバイトだとしても、続けていれば自ずと後輩に仕事を教える立場になることがある。
人生で2度そういう立場になったが、どちらも散々だった。
そもそも仕事ができない俺が、人に教えるなどできるわけがない。
元々低かった評価が、人に教えることもできないということで更に下がっていく。
普通なら社会人2、3年目でで教育者としての仕事を任されるそうだが、とうとう俺がその仕事をまっとうすることはなかった。

 

「誰に教わったの?」
「ちゃんと教えて」
新人の前で指導される。
新人はもう俺の言葉を信用しない。
「この仕事してからどのくらい?」
「いい加減仕事覚えて」
頼むから放っておいてくれ。俺が無能だから悪いのだから、無能を糾弾し、広め、嘲らないでくれ。
そんな目で俺を見ないでくれ。

太宰治にも弟子がいた。
教育者としての太宰はどんな人物だったのだろう。