紋切り型の幸せ
俺にとって人生とは太宰治になることがすべてだったので、太宰治になれない時点ですべてのものに価値はない。
何もかも彼の真似をしようと生きてきたが、絶対に真似できない部分が実家の太さだった。
太宰は生涯仕送りを貰い続けていた。
流行作家となり収入が十分にあった時期でさえ親から金を貰っていたのだ。
物価が定まらない戦中戦後において年収がいくらかということはあまり意味がないが、それでも生活という面に関しては金で苦労したことがない人だっただろう。
俺も去年80代の婆さんに車で轢かれて、一瞬だが金に苦労しない気分を味わえた。
なにせ道を歩いていただけで賠償金130万円が転がり込んだのである。
あのとき死んでいてもよかったのだが、とにかく俺は大金を手にしすぐさまFX口座を開設した。
増減はあったものの最終的には50万円くらい損して退場。
どうせ無かった金だから全額なくなってもよかったのだが、50万円なくなったところで「もったいない」という意識が生まれてしまった。
惜しいという感情があるままギャンブルをすると100%負ける。
実際は惜しくなくても負けたのだがこのあたりが潮時だろうと思ってやめにした。
金について考えるきっかけになった
無食生活で徹底的な節約が見についていたから、残った80万円は一生使い切れない大金に見えた。
すべて使いきったのが先月だから、約1年で無くなったことになる。
人生で一番贅沢をした時期である。
しかし考えてみれば、年収と考えたら130万円は扶養範囲程度の金額である。
つまり収入だと見なされないレベル。
当然一人暮らしなどできない。
平均とかいう数字のマジックのことを考えないなら、世間一般の給料はこんな感じ。
みんな必死にこの数字の大小で一喜一憂している。
女の給料が増えていかないのはきっと社会が悪いだからだろう。
男は自己責任、嫌なら日本から出て行け。
冗談はともかく、生涯結婚する予定がなく一生実家から出ないつもりの俺はずっと287万円でも文句はない。
介護は給料が低いからおそらくこの図のような昇給は見込めない。
35歳で10年以上勤めている先輩が450万円くらいだと言っていた。
例えば明日から給与が倍になったとして、どうするつもりなのだろう。
いい車に乗り換えるのだろうか。
毎日食べている食事のグレードを上げるのだろうか。
それとも老後のために貯金しておくのだろうか。
働いているが金がないと言っている人が多い。
金がないから恋愛、結婚できないとも聞く。
20代で年収300万円を超えるのはもはや普通ではないという記事を見た。
上の図とは大違いの数字である。
そこから手取りになおして家賃を引くと、なるほど生きていけない。
俺はこどおじを貫く。
一人暮らししていたときには、毎日業務スーパーのパスタを食べていた。
あの生活にはもう戻れない。