デザインを作り続けていたら依頼がきた
続けることに価値がある
俺がデザインに興味をもったのは今年の2月頭だった。
知り合いに頼まれ冊子を作ったのがきっかけだ。
そこからは基本的に毎日何かしらを作っている。
ちまちまフォントを集めたり、DTPソフトや画像編集ソフトを買ったりする中でモチベーションを持続させるためにブログを始めたりもした。
かけた金額を考えると、最初からAdobeCCがサブスクできたというのは考えないこととする。
仕事が始まってからも、日勤、夜勤入り、明け問わず作業を続けた。
途中で画像生成AIの存在を知り、できることの幅が広がった。
そして今日ようやく日の目を見るときがきた。
マッサージサロンのチラシを作ってほしいという依頼が来たのだ。
ネットではなく職場の人のツテで来た依頼である。
AIはコパイロット(副操縦士)という考え方
AIの生成物に関して賛否両論あるのは知っている。
この分野のいちユーザーとして思うことは、目まぐるしく発展していく技術に追いつくのがやっとということだ。
是非を問うたり、倫理的にどうかとか、法的にはどうかとかするには圧倒的に時間が足りない。
それでも一応調べてみると、アドビの中の人がAIを「コパイロット」と表現している記事に行き着いた。
AIはあくまでも人間の補助であり、アシスタントの役割だということだ。
例えば何かのデータを元に資料を作りたい場合、資料集めを部下か下請けか誰か暇な奴に頼むことがあるだろう。あるいは資料作りまでを任せて、自分は会議か何かで読み上げるだけかもしれない。
ここで求められるのは資料の正確性であって、誰がそれを集めたかではない。
そして最終的に出来上がった資料をどう使うかは人間の手にかかっている。
現代人の生活は、古代ローマに換算するとだいたい5~10人の奴隷を使っている状態と同じという話がある。
元になった本が出版されたのが2010年らしい。
この画像をたびたび使うけれど、日本人が老若男女問わず気軽にインターネットを使うようになったのはスマホが普及してからだから、ネット普及後を奴隷換算すると人数が増えるか、学のある奴隷を使っている状態に変化したと思う。
おそらく今後AIの技術は加速度的に普及していく。
もはや現代人の生活を古代ローマの奴隷で換算することは不可能になる。
エピクテトスを24時間顎で使える時代になるからだ。
情報格差はAI格差と表現を変えるだろう。
AIは新たなインフラとなり生活必需品になるかもしれない。
俺は俺の言いたいこと、食べたいもの、したいこと、付き合うべき人間を考えるのではなく選択するようになるだろう。おすすめ動画一覧から選ぶように。
ここで求められるのは俺が選択したということであって、誰が考えたかではない。
現にもう職場でのアンケートや研修資料などはChat GPTでテキトーに文言の候補を出してもらって言い回しを変えて提出している。
未来を想像する。
どれだけAIをサブスクしているかで人間の価値が決まるような世界にはなってほしくないと思う。金がないから。