人生100年時代の卒業式
人生100年
我が職場には100歳を超えている婆さんが20人はいる。
人間100年も生きれば後悔もクソもないと思う。
仮に100年生きた上でまだ現世に未練があるのならば、それはもう来世に持ち越してもらって、どうぞ末永くお幸せに暮らしてくださいというやつだ。
誤解を恐れず言うが、現役世代に年金という罰金を課し、旨味のみを吸い上げて生き延びる一日一日は幸せか? と問いたい。
いや、別に問いたくもない。
毎日30秒ごとに「(息子の名前)殺してくれ。頼むから楽にさせてくれ。お母ちゃんとこに行きたい。みさこさんとこ(誰か不明)に行きたい。頼むから殺してくれ」と絶叫する婆さんが職場にいる。
起きている間、つまりは午前5時30分から午後6時30分まで常に叫び続けている。
これに感化され本当にやってしまうとニュースになる。
職員は気が滅入るだろう。
自分たちのやっている介助行為が本当に正しいのかと自問することだろう。
しなければ嘘だ。
人として間違っている。
夜勤明けで婆さんの絶叫を後ろに「お疲れ様でした」と帰路につくたび、俺は卒業式の光景を思い浮かべる。
俺がまともに出席した卒業式は小学校しかない。
毎日を無為に過ごしていても、自動的に卒業式がやってきた日々。
人生の卒業式は自動的にはやってこない。
生きていれば、人はいずれ死ぬ。
しかしそのタイミングは選べない。
俺はゆとり世代だから、卒業式で歌った曲もずいぶんとゆとりっぽい。
29歳より下の人にとっては馴染みのない感覚だろうが、ゆとり世代が世間からどういう扱いを受けていたかについてはChat GPTにでも訊いてみるといい。
「殺してくれ」と言われながら思い出すのが、俺の中の「卒業式の歌」であるこの2曲だ。
もう5月になるから時期外れだが、この曲はマジで3月頃に聞くと当時を思い出して鬱になる。
ちなみに中学の卒業式のときはGReeeeNとかいう陽キャソングだったから何の感慨もない。
むしろ一周回って懐かしいという思いすら芽生える。
自分とは遠い世界すぎて鬱になる以前の問題である。
今を思い出して懐かしいと思う日が来る
以前書いた記事を読んでくれただろうか。
多くの人は日々を生きていく中の大半の時間を、今ではない時を思うことで消費しているのだという。
何気なく撮る食事の写真。
それは未来で過去を思い出す時、「ああ、あのとき行ったあの店よかったよね~」と思うために撮っている。
仕事の最中、雑務に追われながら何を考えているだろう。
帰ったら何をして、何を見て、何を食べて……。
人間は思うほど今現在のことを意識して生きていない。
俺も最近は未来のことをよく考える。
AIについてどれだけ力説しても、興味を示してくれるのは無職の友人だけで、職場の人たちは「すごいよね~」と言うだけでまったくの他人事。
休日出勤してまでやっているそのパワポ。
ネットで拾った画像を順番に表示させて、書いてある内容を文章にしてプレゼンごっこしている、ソレ。
もはやそれ自体に意味はないのだ。
自動でできる時代がもう来ている。
さあ未来の話をしよう。
余談だが、AIを理解しない職場ではフォントの価値も理解しない。
上の画像で使っているフォントはラグランパンチ。
掲示物を作ったところ、会社のPCの太字機能でもっと作ってくれと言われた。
ワードのデフォで入っているフォント弄ってもそうはならないでしょ、ねえ。
それ買ってるのよ、ねえ。