社会復帰は鞄から
スマホを欲した高校デビュー
Twitterが日本で流行り始めた頃、俺は中学3年生だった。
パソコンで利用していたのだが、当時の使い方としては出先で何か写真を撮ったり、思ったことを書き綴るというところが注目を浴びていた。
家で考えをまとめて書くならブログでいい。そのような時代だったと思う。
◯◯クラスタという言葉が生まれたばかりで、皆自分を何者かにカテゴライズしようと必死だった。
今はもう死語となってしまったが、人間の本質はそう変わらない。
高校に進学するとき、俺は両親にスマートフォンをねだった。
日本の大半でガラケーが使われていた時代である。
mixiがまだギリギリ生きていたし、通話はSkype、中高生は前略プロフをやっていた。
田舎の最先端は自分のメールアドレスを持っていること。
You tubeなど誰も知らない。ごく少数がニコニコ動画を知っていた。
オンラインゲームの存在はCMで知っていたが、会員登録の仕方を知っている者はいなかった。
ログインID、パスワードの意味を理解することは、どんな英単語を覚えるより難しかったのだ。
「ケータイが欲しいの?」と親が言った。
「違う、スマホが欲しい」
「どうしてケータイじゃダメなの。ケータイなら買ってあげる」
「SNSをやりたいから」
今でも一言一句覚えている。
結果は買ってもらえなかった。
理由はスマホが高かったからというわけではなく、SNSをやらせたくなかったからでもなかったと思う。
親はどちらの意味も理解していなかったからだ。
「〝スマホ〟で〝SNS〟をやる」というのは、何かとてつもなく大きく邪悪な物で、犯罪紛いの所業に手を出そうとしている、と変換されたのだろう。
あながち間違いではないが。
かくして俺の高校デビューは失敗した。
1年半後鬱が再発して転校したから、スマホがあったら成功していたとも思わない。
すべてを揃えた専門デビュー
高校デビューに失敗した反省から、専門学校に進学するときには実費ですべて揃えることにした。
そこで購入した物はいろいろあるが、一番高かったのがオロビアンコのブリーフケースだった。
確か18000円くらいだったと思う。
自分としては超高級品だと思ったし、今でも思っているが、人はそこまで他人の持ち物に興味がなかった。
結局、在学中に講師の一人の仕事を手伝うことを優先し専門学校は辞めてしまった。
それからアルバイトを転々とし、弁当箱を横に入れられないブリーフケースは使用頻度が減っていった。
実家に戻ってからは押入れの隅で眠っていたが、兄の転職活動に貸し出したり、父親が欲しいというのであげたりして何だかんだ役には立っている。
そして社会復帰
どうやら俺は形から入るタイプらしい。
人間の本質はそう変わらないと書いたが、今回も俺は就職するにあたり鞄を買おうと思った。
それこそ仕事に行くのだから今度こそブリーフケースでもよかったのだが、介護施設にビジネスバッグ然とした鞄で行くのは変だし、背伸びするより等身大でいいというのが無職生活の結論なので、素直にリュックを買った。
それから制服がないから何枚か動きやすい服を用意する必要があるとのことで、ヘリコンテックスのポロシャツを3枚。
ズボンはボタンもチャックもついていない無地のカーゴパンツを3枚買った。
年寄りに引っかかる恐れのある服はダメらしい。
介護に向いている靴を調べると、脱いだり履いたりする機会が多いので紐靴は推奨しないということだった。
本当はメレルのジャングルモックが欲しかったのだが、金がなくなったのでホームセンターの靴で妥協した。
一見まともな元無職の完成である。