自分のミスは潔く認められる人間になろう
画一的な幸福感の中で、人々はもはやみずから身に着けている制服に気づかないのである。――小説の技法 ミラン・クンデラ
見ての通り俺の文章からはプライドの高さがうかがえる。
傲慢で偏屈、人の言う事を聞かない、一度思ったことは意地でも曲げない。
その影響は生活環境にも如実に現れる。
偏食、吝嗇だが特定の分野には金の糸目をつけない、激情家、神経質、自分の非を認められない。
俺が無職であり、無職を長らく続けて来られたのはひとえに俺の人格に問題があるからである。
昔から、人からなにかを指摘されたときに怒ってごまかす癖があった。
それが叶わなくなると、今度は周囲を見下し始める。
俺が純文学にハマったのは、基本的に純文学のスタイルが「周りがバカだから俺は清貧を貫いている」というものだったからだ。
まるで理解者を得たようで心地よかったのだろう。
金も、未来も、夢さえ失って残ったのがプライドだった。
現実的に、プライドは低ければ低いほうがいい。
プライドは低く、自己肯定感は高くというのが現代日本社会を生きる上での必須ステータスである。
俺は自分の非を認めることができない人間だが、社会で生きるうえでそれは致命的になる。
自分が特定の場所で働くとき、他者はすべて「先輩」であり、自分は「後輩」となる。
後輩は先輩の指摘、指示、叱責に対し、例外なく「申し訳ありません」という態度で接する必要がある。
それ以外の態度はすべて失礼にあたり、常識がないとされる。
仰々しく書いたが端的にいえばこれは「上下関係」であり、「上司部下の関係」であり、「体育会系」であり、「社会人」というものであり、「現実」である。
言葉をこねくり回して単なる常識を長々説明してしまって申し訳ありません。
日本ではこれらの内容は部活動で修了されるのが一般的で、まともに生きていれば「先輩後輩」と言うだけで自然と実践できる内容である。
中卒、高卒、大卒関係なく普通ならできることだ。
高卒、専門卒を多く採っている会社に問う
ここ数年入ってくる新人が、基本的な上下関係を理解していないと感じることはないだろうか。
数年続いたコロナ禍により、部活動を修了していない若者が多く生まれた。
これは報連相ができないとか、飲み会に来ないといった贅沢な愚痴のことを言っているのではない。
挨拶をしないとか、始業時間を守らないといったまさしく「基本的」なことができない新人のことだ。
それに対し「最近の若者は……」とただ叱りつけるだけの会社に未来はないと思う。
常識がなぜ常識なのか、納得のいく説明ができる人材のいる会社だけが存続できる。
俺は若者にあっぱれと言いたい。
脱常識を果たした若者は、ポスト常識社会の中で出口のない迷路に落ちていく。
俺に残された捨てられるものはプライドだけ
喜んで挨拶をしよう。
18歳の坊主頭のように、バカでかい挨拶をしよう。
未経験の新入社員に任せられる仕事はない。
本来存在しない仕事を作り、新人に割り当ててくれている。
バカでかい声でありがとうございますと言おう。
ミスは認めよう。
どうせバレている。
その上で対処法を見極めている。
自分のせいで何がどうなって、それが自分の手に負えないことを説明しよう。
ミスを押し付けられたときは素直にかぶり、信頼できる相手にのみ事実を伝えよう。
俺のせいじゃない、と最初から言っても信用されない。
最初は罪を被り潔さを誇示しよう。
あとから実は……と言い出し同情を誘おう。
どうしようもない現実を行きていこう。
それしか道がないのだから。