28歳無職弱者男性の日記

29歳になりました

MBTI診断でINFP-Tだった

暇な時にやってみるけれど、毎回結果を忘れるMBTI診断

プロフィールなどに〇〇型とMBTI診断の結果を書いている人が多い印象があったので、俺もやってみた。

というか、この手のテストをやるのは初めてではない気がする。

無職の頃、半年に一回くらい自分のダメさを正当化するために行い、「ああ、だから自分はダメなんだ」と納得し就職を先延ばしにすることがよくあった。

元が真剣ではないので前回の結果は覚えていなし、今回のもそうだろう。

しかし毎回「当たっている」と感じる。これがバーナム効果である。

 

俺はINFP-Tだった。

初めは「世界では少ない方」という情報が出てきたのでレアガチャを引いたと喜んでいたのだが、日本人はこのタイプが多いと今知って落胆した。

なるほど確かに誰でも当てはまるようなことが書いてある。

 

人の輪に加わることはそれほど苦ではないけれど、自分から発信することは少ない。

人に気を使うことがある。たまにわけもなくネガティブになる。

人類はパターン化可能か

80億人いて、育った環境も何もかも違う人類をたった十数個のパターンに分類可能なわけがない、と思う。

けれども運転適性検査然りSPIテスト然り、人は他人を分類することを好むし、またできると思っている。

人間の構造はある程度単純にできていて、条件が多少似通っていれば分類可能なのかもしれない。

 

たとえば俺が急にネガティブになっていることについて。

特に理由はないのかもしれない。

人間は30歳前後になるとホルモンバランスの影響か何かで、自動的に不安定になるのかもしれない。

あるいは梅雨入り間近の低気圧が精神に影響しているのかもしれない。

考えてもわからないことは考えないと前に書いた。

しかし今ではそういうことばかり考えている気がする。

 

職場での会話。相手は45歳(男)既婚 子持ち。

「キツツキ君がうらやましいよ。まだ29歳でしょ? 今からなんでもできるじゃん」

「いや、酒飲む以外に何もしてないですよ」

「まだまだこれからいろいろあるよ。俺なんか先が見えてるもの。このまま定年まで働いて、主任か何かになって、下の人から慕われたり疎まれたりしながら退職して、年老いて死ぬ。もう他に何も起きようがない。29歳ならどこにでも行ける。なんにでもなれる。今からだよ」

「はえ~」

既婚で子持ちの40代というのは人生が順風満帆真っ盛りなのでは? と思ったが、調べてみると40代というのも既婚独身に関わらず将来に対する漠然とした不安が増す時期なのだという。

 

アーサー・ブルックスはテックサポートの動画で「人はおおむね今日よりも明日の方が幸せになると信じて生きているが、実態は真逆である」と述べている。20代前半から四十代後半、五十代前半にかけて平均的な幸福度は下がっていくのだという。

つまり人は中年にかけて毎日少しづつ不幸になっていく。

ただしここでの幸福度低下は10段階中7か8くらいに下がるだけであって、人生の中で大きな問題となるような「絶望」ではない。それこそ「漠然とした不安から気分が沈む」程度の不幸だ。

 

50代半ばから70代にかけては再び幸福度は上昇傾向となる。

人の幸福は相場と同じでベアとブルがあるのだ。

例外は精神疾患や物質使用障害を持つ人たち。うつ病だったりアルコール依存症の人はずっと不幸だということだ。つまり俺はダメなのである。

厳密にいえば俺はアルコール依存症の診断を受けたわけではない。今も夜勤中だが、別に飲まなくてもやっていけている。だけど飲まないで寝ると発汗して目が覚めるのはツーアウトだと思っている。ツーアウト満塁。

老人ホームは老人のためにあるわけではない

老人ホームは老人のためにあるわけではない

デイサービス、グループホーム、特別養護老人ホーム(ユニット型・従来型)、介護老人保健施設、サービス付き高齢者向け住宅、老人を食い物にしたサービスは数多くあれど、一般人からしたら全部「老人ホーム」である。

実際現場では「これグループホーム案件じゃないよ特養行けよ」とか「これじゃもう特養だようちは老健なんだよ」とかいろいろあると思う。

俺の認識としては特養が本物の姥捨て山、この世の地獄だという認識なのだが合っているだろうか。そしてその中でも従来型特養は、昭和より生き残りし生粋の地獄であるという認識は正しいだろうか。

俺が努めているのは従来型特養である。

地獄が見たかった。

 

本題に入る前に雑談として、今日の地獄について語っておこうか。

右腕壊死ネキ(90)が入所した。

各家庭それぞれ事情というものがあるのは承知している。

子供や親戚、近所、友達、社会システムすべてとうまく関係を築けなかった人なのだろう。

ある日「あれ? 手が痺れるな」と彼女は思った。

手に血栓ができていたのである。

誰も病院に行けとは言わなかったし、また連れて行ってくれる人もいなかったのでそのまま放置していた。そしたら腕が壊死した。

これが子供を全員大学まで行かせた女の末路である。

 

人間の糞尿を処理することなど、自己肯定感の低い者であれば造作もない。

介護職なら口を揃えて言うだろうが、この職を続けられるかどうかはそんな部分ではない。

認知症になった老人は便を弄ったり投げたり食ったりする。俺の施設だけのことではないと信じたいのだが、老人になると高確率でオムツの中に手を突っ込み、常時陰部を弄っている。それができない奴は全身麻痺の奴だけだ。

それに対し〝笑顔〟で接せられる職員が上位10%くらいに該当するのだが、そのスキルは必ずしも必須ではない。確実に処理できるほうが優先だからだ。

「やめろ」と言っても強引に陰部に手を突っ込み続ける老人を制止し、舌打ちしながらでもいい、罵倒しながらでもいいから「綺麗にする」のが介護職の仕事である。

厚生労働省はこういう状況下で「やめろ」と言うことを虐待と定義し、老人には陰部に手を突っ込み糞便を好きにする自由があるとしている。

 

日本人であれば、この手の矛盾に今更どうこう言わないと思う。

彼らは日本の老人がどういう状況で生きながらえているかに興味はなく、月に50万か60万円の給料が貰えればそれでいいのだ。

俺も便を食う老人に対し何も思わなくなった。

 

しかし壊死した腕を洗う作業は別だった。

これはもう介護ではなく、極めてなにか生命に対する侮辱を感じた。

入浴の現場にいたのは俺と、パート、派遣社員。

「これ剥がしていいんですかね? これ、この包帯グルグル巻き」と俺は言った。

「だって取らないと洗えないですよ」と派遣社員が返す。

そこに看護師が来て、「剥がして洗ってください」と言った。

「誰が?」と俺と派遣社員は言い、顔を見合わせて笑った。

老人ホームは家族のためにある

体の一部が壊死するまで家で放って置かれている時点で、彼女と家族との関係は良好ではないのだと察せられる。

「気づいたらそうなっていた」というやつだろう。

これを放置し死亡するまでに至ると、裁判になり子供は執行猶予付きの有罪となる。

これを回避するために設けられた施設こそ老人ホームである。

 

介護の教科書で「利用者本位」と馬鹿の一つ覚えのように繰り返すのはこれが理由だ。

そもそもの出発点が家族の意向本位だからこそ、その歪みをどうにかするためにお役所仕事で利用者本位と言っているに過ぎない。

 

俺がまだ人間だったら、オカンの腕を壊死させたカスが入所手続きに来たら一発ぶん殴らないと気がすまない。しかもそのまま放置して腐ってんだよ半分。せめて切断してから来い。お前オカンに育てられて大学出て◯◯に就職して金あるんだろうが。俺に人の心があるならそう思う。

 

家族の意向、会社としての体裁、集団生活の制約の中で営まれる老人ホームの楽しい生活とは、下記の通りである。

(なお、すべてがこの限りではない)

 

午前5時 起床。まだ眠いとかそういう事情は一切考慮せず叩き起こす。

     朝食が始まるまでに整髪などをするが、基本的に壁を見て過ごしてもらう。

午前7時 朝食。完食至上主義。食べたくないと言っている者にも無理やり食わす。

     気分はフォアグラ職人。制限時間30分。

午前7時30分 寝かせる。立派なフォアグラを作るには運動は禁忌。

午前9時 再び叩き起こし壁を眺めせる。

午前11時 昼食。フォアグラ作り。

午前11時30分 寝かせる

 

午後2時 叩き起こす

午後4時 夕食。フォアグラ作り。

午前4時30分 就寝。

 

老人ホームは老後同じ境遇の人たちと楽しくおしゃべりしながら余生を過ごす場所ではないし、介護士はそれに付き添ってニコニコしている人たちではない。

囚人と刑務官の関係に似ている。

一応国はこのやり方に疑問を呈し、施設でなく地域で介護させようとしている。それが新オレンジプラン。

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タングステンの兎

快晴の木曜日、休日

今日は休日で、久しぶりにカラッと晴れたいい陽気だったので部屋の掃除をすることにした。

午前中いっぱいくらいを使ってやるつもりだったのだが、途中で飽きたので1時間でやめにした。

掃除機をかけ、雑巾がけをしパソコンの上部、全面、後面にあるファンのホコリをとり、散乱したペットボトルのラベルと蓋をとり中を洗い、布団を干しモニターの画面を拭いた。年収に換算すると1000万円の仕事だ。

そしてダラダラとバナーを作っていた。

これはメンタルがブレイクしたときに使おうと思う。

だいたい毎日ブレイクしているけれど、今日はことさらブレイクしているな、と思える日に用いる用だ。

そしてこれは太宰治の小説の一節を引用した。

弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけられる事もあるんです。――人間失格 太宰治

はぁ~尊い。

太宰先生の言葉はスッと染みる。

親の顔より見た太宰。

 

去年か一昨年か、太宰治が海外で流行っていたらしいという情報だけは知っている。

原文に原語で触れられる日本人でよかったと思う。

厳密な定義が存在しない「弱者」という言葉。俺は自分自身のことを弱者と呼称し、またそう自認しているけれど、太宰治が弱者であったかどうかについては疑問が残る。

しかし間違いなく、彼もまた自分のことを弱者だと自認していた。

 

マジで才能の塊だと思うから、ぜひ太宰治は読んでみてほしい。

彼は当時の基準でも確実に成功者として扱われていた。

流行作家としての名声を恣にしていたし、小説は女学生の間で大流行、戦地からもファンレターが届き「弟子にしてください」と言われる始末。坂口安吾は太宰の死後インタビューで「カストリばっかり飲んでたから頭おかしくなったんじゃないですか?」と訊かれ、「あいつがそんなもん飲むわけない」と答えた。

戦前、戦中、戦後を強かに生きていた太宰。

もし現代に生まれていたら、間違いなく職業は〝インフルエンサー〟だったと思う。

しかもジャンルは炎上系。

さあ飲むぞ

休日だから早い時間から存分に飲む。

しかしそれほど金に余裕があるわけではない。

こういうときには家にある卵を使うに限る。

 

もうこれを書いているときには酔っ払っているので、多少の逸脱はご愛嬌。

TwitterのトレンドにYou Tubeプレミアムというものがあった。

飛ばせない30秒広告が導入されるらしく、「俺は広告を見る!!」「プレミアム入る!!」という内容で阿鼻叫喚だった。

Google Pixel の12ヶ月You Tube Premium 無料を手に入れた俺高みの見物。

とはいえ今まで広告で世間の動向を知るということが大いにあった。

テレビをまったく見ないから、芸能人の名前を言われても誰か分からない。

ちなみに声を聞くだけでニコ生かピアキャスかTwitchかYou Tubeかプンレクどこの配信者かわかる。

冗談はともかく、テレビの有名人よりネットの有名人のほうが詳しいのは事実だ。

 

広告を見ることで世間の認識とある程度合わせられていた面がある。

広告が映らなくなった今、本当に自分の見たいものしか目に映らない生活ができる。

俺はその情報の偏りは毒だと思う。

だから無料12ヶ月が終わったら更新しない。たぶん。

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今日はサイコーだと言いたい日もあるよ

サイコーならサイコーでいい

このブログを運営するにあたって、以前Google AdSenseについて書いた記事で触れているよう〝ある程度の読まれる努力〟を実践している。

俺が思うに一番大事なのは検索上位ワードやトレンドの語を用いることだが、それはやっていない。純粋に書きたくないことを書きたくないから。

しかしそれ以外のことはある程度やっているといっていい。

ひとつはSNS活用。

SNSに更新情報その他を載せることは、そこからの流入を期待してのことではない。

自サイトへのリンクが増えることで検索順位を上げるためにある。

Googleに「このサイトは他サイトからのリンクがたくさんあるから有用だ」と認識させるのだ。

もちろんこれは10年くらい前のSEO対策だから、今やっても意味はないだろう。

現に俺のブログへのGoogle流入は皆無に等しい。

 

しかし愚直にもそれを実行しようとした結果、俺はTwitterに触れることとなった。

始めたはいいものの、さて誰をフォローしようかという段階に至る。

俺も元がネガティブだからそれっぽいのを適当に見繕うかと決め、130人ほどフォローしてみた。

するとどうだ、タイムラインが見事にネガティブツイートで埋まった。

 

いくらなんでもちょっと嘘だろうという感じだった。

俺もネガティブだが、仕事をしているときは陽気に努めている。

まともにコミュニケーションを取ろうとしない奴はどの業種でも嫌われるからだ。

挨拶の声を馬鹿みたいにデカくするのはバカだからではなく、そうしたほうが得だからだ。

「すみませんでした」「ありがとうございます」をはっきりと伝えるのは、俺がカスであるという表明の意ではなくコミュニケーションを潤滑に進めるために有用だからだ。

いちいち小さなことで自己嫌悪に浸ってことさらに卑下して見せるのは自傷行為と相違ない。

 

俺は介護職のシフト勤務だから、月火水木金土日の気分がバラバラだ。

月曜日に憂鬱になることがなければ、金曜日に有頂天になることもない。

仕事前に「行きたくない」と思うことはあるし、夜勤前に「なんで俺こんなことしてるんだろう」と思うこともある。

しかし、間違いなく週7日すべて、24時間気分が滅入るというのはありえない。

仕事終わりは気分がいいし、酔っていればなおさら気分がいい。

友達と飲みに行く日は特別だし、会社で飲みに行ったとしても褒められる内容だったのならば問題ない。夜勤明けは問答無用で気分がアガる。

 

だって16時間勤務を終えて解放されたのだ。今日は午前中から飲んでいい日。寝たくなったらいつ寝てもいい、独身だから。

一旦寝たらいつまで寝てもいい。14,5時間寝てもいいし、9時間寝たあと一旦起きて車でコンビニに行って、深夜人気のない駐車場で経済指標を見ながら為替相場とにらめっこしてアーモンド効果片手にタバコ10本くらい吸ってもいい。

だって明日も休みなのだから(ロング夜勤の次の日は必ず休みになる)

こいつら嘘だろ? と思った

俺のブログを読んでくれている人の中で、「いつの間にかネガティブな内容が増えてきたな」と思っていた人がいたら申し訳ない。

仕事でストレスが溜まっていたから、という理由ももちろんあるが、大部分がTwitterのタイムラインにアテられた結果だ。

 

昨日夜勤入りの日にTwitterを眺めていたら、俺もフォローしていた人のツイートが画像で回ってきた。

当人は退会していて原文は見られなかったのだが、要するに「今まで毎日5分ごとにネガティブツイートしていたのはすべて嘘です。結婚します、さようなら」という内容だった。

ちょっとショックだった。

いつも酔っ払ってTwitterをやるからその人の名前も覚えていないけれど、「こいついつも暗いな」と思うような内容のことばかり書いていた人だった。その程度の印象はある。

 

フォロワー数の多い人だったから、それを見て他の人が「俺は結婚する予定などまったくない人です! 安心してください! 結婚する予定がある場合事前に告知します!」と言い合っていた。

その弁解もおかしいと俺は思った。

これADHD、HSP、鬱病、自閉症スペクトラム、適応障害、その他もろもろ発達障害ビジネスなのでは? と思った。

そんな毎日24時間365日鬱々としているわけがない。もしその状況にあるのだったら明確な病気だから医者にかかるべきだし、その状況下でSNSで自分の感情を逐一他者に伝えようとは思わない。なぜなら他者は敵であり悟られてはいけない相手だから。

 

俺がガチできつくてヤバかったときは壁殴ってた。

これは世代関係なく同じだと確信してる。

壁殴るよ、男は。壁見る?

膝蹴りだよ膝蹴り、高さ的に。

職場のおばさんに言われたよ。「キツツキ君は真面目でいいね~。反抗期なんてなかったでしょ? うちなんか家中穴だらけだよ。戒めのために絶対直さない。いつか子供が成長したときに、その穴を見せて鏡にする」

 

あのね、穴を開けるやつほど外では真面目で優しいひ弱な男の子なのよ。

ダメなんだよもう俺たちは。

 

というテンションならわかる。

だけど毎日朝から晩まで馬鹿の一つ覚えみたいに死にたい仕事ができない言ってるのはおかしい。できる仕事もあるから絶対。今日は完璧にやれたという日もあるから。そういう日が一切ないのは人としておかしい。これははっきり言うわ。

なにもかもできないのだったら、その場から逃げるか薬飲むしかない。

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夜勤前は体調を万全に整えなければならない

体調を万全に整える

多いのかどうかわからないが、俺は夜勤が月に7回ほどある。

うち5回が16時間夜勤だ。

16時間起きていて仕事をするというのは、たとえ夜勤中に何もなくても過酷なものである。

最大限休養に努めて臨んだとしても、終わるころにはだいぶ疲弊している。

暇な夜勤でも仕事は仕事。疲れないということは絶対にない。

だからこそ体調は万全にしておかなければならない。

 

chat GPTに夜勤前の過ごし方を聞くと、必要な物品や手順等は事前に準備しておき、直前にバタバタしないとあった。

今日の夜勤で必要なものは特になかったが、AIの言う通りに過ごそうと思い上の画像を作った。

トイレを示す掲示物がヨレヨレで剥がれかけており、新しくしようと思ったからだ。

 

十分に睡眠をとっておくとも返ってきた。

昨日は午後10時半から午前11時まで寝ていた。

途中断片的に目覚めたりはしたけれど、2度寝3度寝4度寝を繰り返しAIの指示を実行。

 

夜勤中に眠くならないためには? という質問には「ストレッチをすること」と返ってきた。

上半身をまげて反る運動、肩甲骨をひらく動作、脚のストレッチが有効なのだという。

今現在夜勤中なので11時頃になったら試そうと思う。

そして午前2時台にモンスターエナジーを飲み過酷な業務へと向かう。

 

そう、夜勤の何が辛いかというと過酷な業務が後半戦に集中していることだ。

夜勤前にどれだけ休息と栄養をとり目力バキバキにしていったところで、力を発揮しなければならないのはその効果が切れたあとなのだ。

夜勤者のメイン業務は午前3時頃から始まる。

利用者全員の排泄介助を行い、早番が来る前に離床を済ませ、洗顔整髪をし、朝食が運ばれてきたときに食べるだけでいい状態にセッティングを行う。そして朝食を介助したあと食休みのため利用者を寝かせる。

その後朝の排泄介助を行い、それが終わるとまた離床。ここで退勤時間となる。

 

認知症相手にイライラせず、ゆっくりとした物言いで接し、落ち着かない時には傾聴で対応する。コンディションが万全であれば誰でもできる仕事だろう。

問題はこれを15時間労働の後、ラスト1時間でできるかどうかである。

 

仕事が終わったからといって安心はできない。

この状況で車を運転して帰るのである。

職員の中には夜勤明けで事故を起こしたという人が何人もいる。

幸い物損事故だけだそうだが、自分の体調を鑑みて明らかに無理そうなときは車の中で仮眠をとってから帰るという人もいた。

夜勤は過酷である。

さてストレッチの時間が近づいてきた。

朝まではまだ長い。

努力なしにQOLは上がらない

QOLとは

QOLとはクオリティ・オブ・ライフの略で、生活の質を意味する。

横文字大好き日本人の皆々様の中には聞いたことがある人もいるかもしれない。

俺視点でこの語を積極的に取り入れている業界は、医療、介護、看護である。

 

4chのゲームスレッドではよくQOLのワードが出てくる(2017年調べ)

日本のゲームをアゲるためによく用いられていた。

日本のゲームは海外のAAAタイトルと較べて予算が少ない(データ無し)し、CG技術が劣っているし、外国人のアクセスにオープンではないがQOLが高いということだ。

4chのゲームスレッドにおけるQOLとは、UIデザインを含むシステム面での動線、シナリオ、ビジュアルなどを意味していた。

要するに日本のゲームはアメリカ・EU圏の超大作よりも少ない予算で感動体験を提供しているということだ。

 

介護業界でも、利用者のQOL向上を目指すという意味でこの語がよく使われている。

意味としては直訳に等しく「生活の質向上」なのだが、英語の時点で特に業界を限定している言葉ではないし、日本語でも「質」という曖昧なワードを用いているため一体何を目指しているのか分からない。

まぁこの業界で大事なのは「やってる感」だけだからこれ以上は何も言わない。

 

QOLを上げる

毎日のルーティンの中で気分が落ち込んでいく。

毎日それなりに〝無難に〟過ごしているはずなのに、どんどんと気分が滅入っていく。

これがまさにQOL低下である。

QOL低下に到るまで続けていた生活スタイルをそのまま続行したとしても、改善されることは絶対にない。だから何が問題となっているのかを見つけ、改善する。これがPDCAサイクル。

 

本日のお品書き。

出勤午前6時5分。

退勤午後4時27分。

いつもの俺であれば、退勤後即買い物、帰宅後即料理、晩酌のルーティンだった。

これを繰り返してきた挙げ句ネガティブになっているのだから、今後何百年同じことをやっても同じ結果となる。そう直感した。

 

まず買い物には寄らない。直帰した。

すると玄関先で駆け寄ってくる飼い猫(2匹目)

もはや俺は常にGooglePixelを構えているから、駆け寄ってくる猫も撮れる。

この猫は車に轢かれているところを妹が拾ってきたやつだ。名前はクロ。

だから尻尾がちぎれてしまっている。

 

帰宅すると即風呂掃除。

お湯を溜めながら買い物に出かける。湯の管理は家族に任せる。

買い物を済ませた帰宅したのが午後5時22分、即入浴。

酒を飲んでいない状態で湯に浸かるのはおよそ3年ぶりだ。

コロナで療養所に強制収監されていたときも酒は飲まなかったが、シャワーのみだった。

芯から疲れがとれる気がする。かなり長湯したつもりだったが、風呂から上がったのは6時前だった。

腹が減っている。喉も乾いている。限界だ。

普段とは違った行動をとっているため、普段とは違う行動をとることにした。

体重計に乗る。カラカラ限界腹減り状態での体重、56.6Kg。

すぐに晩酌の準備に取り掛かった。

いつも通りのチリコンカンとバゲット、ハイボール。

これ少なく見えてひき肉300g、レッドキドニー3袋、マッシュルーム缶1つ使っている。バゲットはこのサイズが20枚ある。

これを食らうのだ……。

満足度高し。

普段ならこれを作ってやったあと風呂に入って寝る。順序を逆にしただけだ。

しかし満足度高し。

風呂がいいよ風呂が。

昭和親父は仕事から帰ってきて、まず風呂に入ってからビール飲んだじゃん。

理にかなっていたのだと思う。彼らは彼らなりにQOLの上げ方を心得ていたのだと思う。

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ヘリコンテックス信者

カメラで人を撮っても仕方がない。

それより森見てよ森。

午後7時、雨、自然光なしでここまで明るく撮影できるGoogle Pixelに感動した。

前のスマホで同じ画角で撮ろうとしたことがある。時間帯も同じ。

前はフラッシュを焚いても何も映らなかった。

それがこの圧倒的森感!!!!

何なら肉眼より明るく写っている。

右のフェンスが邪魔で消そうかとも思ったが、無加工で伝えたかったのでそのままにする。

ちなみにこれ、職場から見える風景である。

今日は具合が悪かった

そういう日もある。

理由としては、昨日たぶんYou Tube Premiumに感動して飲みすぎたからだろう。

規定量であるウイスキー350mlを超えたかどうかは次の日の体調で分かる。

明らかに超えていた。

全身に痛みを感じていたのはおそらくこれが理由だ。

興奮冷めやらぬままツイートしたので誤字がある。

5月12日だから俺が夜勤明けの日だ。

飲んで寝て、起きて倍フィレオフィッシュが死ぬほど食べたくなったので歩いてマクドナルドに行った。

持ち帰りを頼んで帰宅途中、今までは絶対にチェーンなどしていなかった駐車場を通り過ぎようとした。時刻は午後8時過ぎ頃だっただろうか。曇っていたので星明りもなく、街灯もない。

雑な位置に雑な感じで張られていたチェーンに気づかずに転倒。

車道に飛び出し横転した。

飲んで寝たとはいえ、8時間は寝ていたのだから酔いは醒めていたはずだ。

いくら俺が弱者だとはいえ、29歳の男である。

高齢者だったら普通に骨折しているレベルで転んだ。

そして俺の倍フィレオフィッシュが無惨に潰れた。

 

咄嗟に受け身をとれるほど運動神経も良くないので、普通に両手をついたあとゴロンと一回転した。

意図せず転んでアスファルトに掌をつくというのがどういうことか、経験のある人なら分かると思う。

ズリっと抉れて血まみれになるのだ。

 

しかしそうはならなかった。

Liberaidersのグレーのオーバーサイズのメキシカンパーカーを着ていたから。

寒かったから萌え袖みたいにして着ていたから。

 

冗談はともかく、メキシコ軍人がメキシカンパーカーを着ているのを見てカッケーと思って買った意味があった。

本来なら血まみれになっているはずが、上半身に傷ひとつなかったのだ。

下に着ていたのはヘリコンテックスのポロシャツ。

親から「あんたが着ている服と同じやつを軍人が着てるよ」と言われて見てみたらゼレンスキーだったやつ。

 

下半身は普通にユニクロのジャージだったので血まみれになった。

今でも膝から浸出液が溢れてくる。

転ぶと分かってたらヘリコンテックスのカーゴパンツ履いてたわマジで。

俺はもうヘリコンテックス信者になった。

メーカーはポーランドでも製造元は中国だからあんまり信用ならないけど、質はいいよマジで。

ちなみにベルトもヘリコンテックスを使っている。

靴も出してくれ靴も。

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