28歳無職弱者男性の日記

29歳になりました

知識の墓場

 

今は開くことさえない

本は宝だった。

上京するときに買った自分だけの本棚はまるで自分専用の宝箱のようだった。

 

本が傷むから、平積みしてはならない。

定期的に開いて乾燥させなくてはならない。

日に当たると焼けてしまうから、暗所に保管しなければならない。

律儀にすべて守っていた。

 

本を愛でた。

すばらしい装丁の書籍などは、撫でているだけで心地よかった。

名著と呼ばれる本はその表題だけでも感動できた。

戦争と平和』『存在と時間』『精神現象学

独学だからわからない部分はノートにとりながら勉強した。

本物の大学で、本物の教授に教わる時間にも引けを取らない有意義な時間だったと思う。

 

いつしか開くことさえなくなっていた。

本棚がホコリをかぶり始めると、あれだけ輝いていたはずの場所が不浄に見えてくるから不思議だ。

掃除しようとは思わなかった。

もはや邪魔なだけの直方体のために何かしようという気が起きなかったのだ。

 

そのうち近づくのすら嫌になった。

手に取れば汚れる。

持ち上げるだけでホコリが舞う。

視界に入れば「なぜ読まない」と責められているような気がする。

 

「読まないなら片付けて」と家族から言われた。

すると俺は「読む!」と怒声をあげる。

なぜ尋ねただけで怒るのかと家族から非難される。

自分では片付けられない。もう読まないとは認められない。

それは今までの自分を否定することであり、これからの自分を殺すことだから。

 

ある日、俺の夢が衣装ケース3つ分にまとめられて積み上げられていた。

俺が片付けないので家族が仕分けたのだ。

それを見てもなんの感情も湧いてこない。

本の扱いに対して怒ったり悲しんだりする気力がないことが、もうそれだけの熱量がないことの証明だった。

 

現在本でいっぱいになった衣装ケースは、まるで外界との接触を拒むかのように窓際に積まれている。

日に焼けてしまうことについてももうなにも思わない。

今日ふと目に入ったとき、ここは知識の墓場だと思った。

もう一生、誰にも読まれることがないだろう本の墓場だ。

そして過去それに胸を躍らせていた男の感情の墓場でもある。

 

供養のために1冊を手に取り、適当なページを開いてみる。

スケープゴートがなければ、結局人間はソリダリティを保ち得ないのであろうか。あらゆる宗教は平和を説き人類愛を強調している。その宗教が同時に異端と魔女を攻撃し、抹殺することによってみずからの正統性を確立しようとする。全世界の宗教は世界の平和と秩序を実現し、これを永久に維持して行くためには、この人間性の根底に横たわる問題にふかく思いを致さなければならぬと考えるのである。――堀一郎 聖と俗の葛藤

俺は宗教に入ろうと思ったこともなければ、勧誘されたこともない

午前2時から起きているから昼過ぎくらいから酒を飲んで日没前には寝ようかとか、やることがあればもっと起きていようかということしか考えられない。

 

実際社会問題なんかを深く考えるのは専門家に任せたほうがいい。